「なるほど、そんな意見もありますね」
そう言って、私はその場をやり過ごしました。
作業所に、自分の意見を感情的に主張するAさんという人がいます。あるとき、Aさんの意見に対して「それは違うのではないか」と感じていました。頭の中には、言いたいことが浮かんでいました。
でも、口から出てきたのは冒頭の一言だけでした。
理由は正直に言うと、面倒だったからです。Aさんは感情的になりやすい人で、反論すればこじれると思いました。
それに、その話題は私にとってそこまで重要なことでもなかったのです。だから引きました。
これは「負けるが勝ち」という判断だったのでしょうか。
今でもよくわかりません。戦略的に引いたのか、ただ面倒から逃げただけなのか。おそらく後者に近い気がしています。
この記事では、「負けるが勝ち」という言葉の意味や心理学的な根拠を整理しながら、引いてばかりだった私自身の経験も正直に書いていきます。
きれいごとは書きません。等身大で考えてみたいと思います。
「負けるが勝ち」とは、どういう意味なのか
まず言葉の意味と背景を整理しておきます。語源を知ることで「なぜ引くことが長期的に得になるのか」という考え方の土台が見えてきます。歴史的なエピソードも交えながら、簡潔に説明していきます。
江戸時代から続く、庶民の逆説的な知恵
「負けるが勝ち」とは、その場で勝ちを譲ることが、長期的には自分にとって得になるという意味のことわざです。
語源は諸説ありますが、江戸時代にはその考え方があったのです。
当時の「いろはかるた」の「ま」の札として庶民の間に広まり、無理に争うより引いた方が賢いという生活の知恵として定着しました。
目先の勝ち負けより、長い目で見た利益や関係の安定を重視する考え方です。
屈辱を耐えた男が、のちに大将軍になった話
この考え方を象徴するエピソードとして、中国の武将・韓信の話があります。
若い頃の韓信は、街の不良に「自分を斬るか、股の下をくぐるか」と侮辱されました。
周囲が固唾をのんで見守る中、韓信は静かに股の下をくぐります。その場では大勢の前で笑いものになりました。
しかし韓信はのちに、前漢建国を支えた大将軍になります。「あの場で相手を斬っても、何も得るものはない」と判断したからこそ、その後の大成があったと伝えられています。
「負けるが勝ち」とは、こういうことです。その場の勝ち負けより、その先に何があるかを見る考え方なのです。
ただし、それが本当に機能するのかどうかは、もう少し掘り下げる必要があります。
「言い返せない自分」は、弱いのか
引いた後に「なんで言えなかったんだろう」と感じた経験は、誰にでもあると思います。でもその「言えなかった」という状態は、本当に弱さから来ているのでしょうか。心理学の視点と、私自身の経験を交えながら考えてみます。
フォーン反応|人が「従う」ことで身を守ろうとするしくみ
人間がストレスや脅威を感じたとき、脳と神経系は自動的に4つの反応を起こすと言われています。戦う、逃げる、固まる、そして「従う」です。
最後の「従う」は、フォーン反応と呼ばれます。相手をなだめる、ご機嫌を取る、波風を立てないようにするのです。こうした行動で危険を回避しようとする、神経系の防衛反応のひとつです。
つまり「言い返せなかった」という状態は、性格の弱さではなく、脳が自動的に選んだ身を守るための反応である可能性があります。
怖いから従う。これは弱さではなく、生存のためのプログラムです。
不登校・ひきこもりの時間が、私にフォーン反応を根付かせたのかもしれない
ここで少し、自分の話をさせてください。
私には不登校とひきこもりの経験があります。その時間は合わせると10年以上になります。
長い間、人との関わりをほとんど持てませんでした。その結果、社会に出てからも、人と深い話をすることをどこか無意識に避けてきた気がしています。
なぜ避けてきたのか。内省してみると、おそらく深層心理に怖さがあったのだと思います。本音を話したら変に思われるかもしれない、嫌われるかもしれない、という感覚です。
これはまさに、フォーン反応の典型的なパターンと重なります。「従うことで安全を確保する」という反応が、長い孤立の時間の中で、知らず知らずのうちに身についていたのかもしれません。
正直、自分でもよくわかりません。ただ、そういう怖さが根強く残っていることは確かです。
「怖さ」は、弱さではなく生き延びるための戦略だった
フォーン反応は、特に「逃げられない環境」の中で繰り返しストレスにさらされてきた人に強く出やすいと言われています。
家族、学校、職場など、簡単には離れられない場所で、「従うことで安全を確保する」という戦略が少しずつ身についていくのです。
私の場合、それが不登校やひきこもりの時間だったのかもしれません。人と深く関わる練習をする機会がないまま過ごした時間が、「本音を出すと危険かもしれない」という感覚を根付かせた可能性があります。
だとすれば、言い返せない自分を「弱い」と責める必要はないはずです。
それは弱さではなく、その環境の中で自分を守るために身についた、ひとつの戦略だったと考えられるからです。そう思うと、少しだけ自分を責める気持ちが和らいできます。
それでも「引く」ことには、科学的な根拠がある
「引くことは長期的に得になる」と言葉では理解できても、本当にそうなのかと疑いたくなる気持ちがあると思います。ここでは心理学や行動科学の視点から、「負けるが勝ち」が機能する理由を整理していきます。私自身の感想も交えながら、正直に書いてみます。
しっぺ返し戦略|最初に協力した人が、長期的に得をする理由
ゲーム理論の研究に、「しっぺ返し戦略」と呼ばれる考え方があります。ルールはシンプルです。
最初は相手に協力する。相手が協力してくれるなら、こちらも協力し続ける。もし裏切られたら、一度だけ同じようにする。そしてその後、相手が再び協力してきたらすぐに協力に戻る。
この戦略を様々な条件でシミュレーションした研究では、長期的に最も高い成果を生んだのがこのしっぺ返し戦略だったと報告されています。
なぜこれが有効なのか。理由のひとつは、人間関係のほとんどが「一回きりの勝負」ではなく、「繰り返しの関係」だからです。
職場の同僚、家族、近所の人。こうした関係は何度も顔を合わせる、繰り返しゲームです。そういう関係では、目先の一勝を取りにいくより、協力し合える関係を育てる方が、長期的な利益が大きくなりやすいでしょう。
先に譲ると、相手も返したくなる――返報性の原理
もうひとつ、人間関係で「引くことが得になる」根拠があります。返報性の原理です。
人は誰かに何かをしてもらうと、「お返しをしなければ」という心理的な圧力を感じます。これは文化や状況を超えて、広く見られる人間の特性だと言われています。
つまり、こちらが先に譲ると、相手の中に「借りができた」という感覚が生まれやすいのです。その結果、後の場面でこちらの提案を受け入れてもらいやすくなったり、協力してもらえたりすることがあります。
振り返ってみると、作業所でAさんに意見を引き続けてきた10年間も、結果としてこの原理が働いていたのかもしれません。
意識していたわけではありませんが、大きなトラブルなく関係が続いているのは、そういう積み重ねがあったからだと思うと、少し腑に落ちる部分があります。
この理論は気に入っている。ただ、一点だけ感情がついていかない
実のところ、しっぺ返し戦略も返報性の原理も、私は気に入っています。もともと理屈っぽいところがあるので、こういう合理的な考え方はしっくりくるのです。
「引くことには科学的な根拠がある」とわかると、なんとなくやってきたことに理由がついた気がして、少し安心もしました。
ただ、しっぺ返し戦略には一点だけ、感情がついていかない部分があります。「裏切られた後に、また協力に戻る」という部分です。
頭ではわかります。長期的にはその方が得だと理解もできます。でも実際に裏切られたとき、怒りや「許せない」という気持ちがやはり残ります。
そこをすっきり切り替えられるかというと、正直難しい。この感情の扱い方については、もう少し後で改めて触れてみたいと思います。
ただし「引き続けること」には、落とし穴がある
ここまで「引くことには根拠がある」という話をしてきました。ただ正直に言うと、引き続けることが常に正解かというと、そうではありません。「負けるが勝ち」には、知っておくべき落とし穴があります。綺麗ごとにせず、その部分も書いておきたいと思います。
我慢し続けると、相手がエスカレートしやすくなる理由
行動心理学に、「強化」という考え方があります。ある行動の後に望ましい結果が得られると、その行動は増えやすくなるというものです。
これを人間関係に当てはめると、次のようなことが起きます。たとえば職場で理不尽なことを言われるたびに黙って従っていると、相手は「強く出れば従う」と学習します。その結果、要求がだんだんエスカレートしていく可能性があるのです。
家族関係でも同じです。無理な頼みごとを毎回引き受けていると、相手にとってそれが「当たり前」になっていきます。引き続けることで、知らないうちに相手の問題行動を強化してしまうことがあるのです。
「負けるが勝ち」のつもりが、長期的には「負けっぱなし」になってしまうでしょう。これが最初の落とし穴です。
怒りを飲み込み続けることは、心身にコストがかかる
もうひとつの落とし穴は、自分の内側にあります。
怒りは、本来「大事なものが踏みにじられた」というサインです。不公平な扱いや、自分の価値観への侵害を教えてくれる、正常な感情のひとつです。その怒りを感じること自体は、何も問題ありません。
問題になるのは、その怒りをひたすら飲み込み続けることです。感情を長期的に抑圧すると、ストレス反応が慢性化し、心身への負担が積み上がっていくと言われています。表面上は穏やかでも、内側に恨みや不満が静かに溜まっていく状態です。
「怒りを感じること」と「怒りをぶつけること」は、別物です。「負けるが勝ち」とは、怒りをなくすことではなく、その扱い方を選ぶことだと思っています。
引いていい場面と、引いてはいけない場面の違い
では、どこまで引いていいのか。私なりの整理を書いておきます。
人間関係における「引いたほうが良い」場面と「引いてはいけない」場面は、おおまかに3つの層で考えると整理しやすいと思います。
1つ目は、絶対に譲らない層です。自分の安全、尊厳、基本的な権利が侵される場面がこれにあたります。暴言、ハラスメント、身体的な脅威など、自分の心身を傷つける行為への我慢は、「負けるが勝ち」ではありません。ここは引いてはいけない場面です。
2つ目は、話し合う層です。仕事の進め方や役割分担など、お互いに影響がある事柄は、相手を尊重しながら自分の意見を伝えて話し合う余地があります。黙って引くのではなく、自分の考えを伝えながら折り合いをつける場面です。
3つ目が、積極的に譲っていい層です。さほど重要でないこだわりや、どちらでもいい好みの違いなど、長期的な関係に大きく影響しない場面がここにあたります。「負けるが勝ち」が最もうまく機能するのは、この層だと思っています。
Aさんとの場面を振り返ると、あれは3つ目の層だったと言えます。私にとってさほど重要でない話題だったからこそ、引いても何も失わなかったのです。
逆に言えば、自分の安全や尊厳に関わる場面で同じように引いていたとしたら、それは「負けるが勝ち」ではなく、ただの我慢になってしまいます。
「逃げ」と「引き」は、実は別物だという話
「負けるが勝ち」と「ただ逃げているだけ」は、外から見ると同じように見えることがあります。でも心理学的には、この2つはまったく別の状態です。そしてこれは、私自身がずっと曖昧にしてきた部分でもあります。正直に書いてみます。
恐怖から黙るのと、自分で判断して引くのは、心理的に別物だ
心理学では、ストレスへの対処行動を「能動的なもの」と「受動的なもの」に分けて考えることがあります。
受動的な回避とは、不安や恐怖から逃げるために、考えることを止めたり、黙ったりする状態です。この対処法は、その場の緊張は下がるものの、長期的にはストレスや自己評価の低下につながりやすいと言われています。
一方、能動的な選択としての「引き」は、状況を見て自分で判断し、意志的に引く状態です。「ここは争うより引いた方が長期的に得だ」と自分で決める。同じ「引く」でも、後に残るものがまったく違います。
自己決定理論という考え方では、「自分で選んだ」という感覚が、人の満足感や自尊感情に大きく影響すると言われています。
受動的に我慢した引き方と、能動的に選んだ引き方では、同じ結果になったとしても、自分の中に残る感覚がまるで異なるのです。
正直に言うと、私の場合はどちらだったのかよくわからない
では私自身はどうだったのか。正直に言うと、よくわかりません。
Aさんとの場面を振り返ると、あれは「面倒だったから引いた」というのが本音です。戦略的に考えた末の選択というより、面倒ごとを避けたかっただけかもしれません。
ただ同時に、その話題が自分にとって重要でなかったことも確かです。だから引いた後に何も感じなかったのです。
能動的な選択だったのか、受動的な回避だったのか。おそらく、その両方が混ざっていたのだと思います。
作業所のみんなも同じようにAさんをスルーしていたし、あの場ではそれが自然な対応だったとも言えます。なんとも言えない感じですが、今はそれでいいと思っています。
引き続けてきた先に、気づいたこと
ただ、引き続けてきたことで気づいたこともあります。
私はこれまで、人と深い話をほとんどしてきませんでした。自分の本音や内側に触れるような会話を、無意識に避けてきました。それは先ほど書いたフォーン反応と関係しているのかもしれません。
そして最近、そのことに対してある種の悔しさを感じています。引き続けることで大きなトラブルは避けられました。でも一方で、深い関係を築く機会も少なかったのかもしれません。
得たものと、失ったかもしれないものが、両方あった気がしています。
「負けるが勝ち」を実践してきた結果として、これが今の正直な気持ちです。
「これは逃げか、引きか」を確認する3つの問い
最後に、実用的な話をひとつ。自分の「引き」が逃げなのか、意志的な選択なのかを確認するための問いを3つ挙げます。
問い①「これは怖さから黙っているのか、判断して引いているのか」
怒りや不安だけが理由で黙っているなら、受動的な回避に近い状態です。状況を見た上で引いているなら、能動的な選択に近いと言えます。
問い②「この結果を、自分の選択として引き受けられるか」
後で「あのとき自分で決めた」と言えるかどうかが、ひとつの判断基準になります。言えないと感じるなら、逃げの色が濃いかもしれません。
問い③「自分の安全と尊厳は、守られているか」
先に書いた通り、自分の安全や尊厳が侵されている場面での「引き」は、負けるが勝ちではありません。ここだけは、必ず確認しておきたい問いです。
引いた後の感情を、どう整理するか
引いた後に「あれでよかったのか」とぐるぐる考えてしまうこともあるでしょう。そういう経験は、誰にでもあると思います。ここでは、引いた後の感情を整理するための考え方と、実際に使えるセルフトークを紹介します。難しい話ではなく、シンプルに使えるものを意識して書きます。
相手の反応は相手の課題|アドラー心理学の考え方
アドラー心理学に、「課題の分離」という考え方があります。ある出来事に対して、「これは誰の課題か」を分けて考えるというものです。
たとえば引いた後に、相手がどう感じるか、どう評価するか、これは相手の課題であり、自分にはコントロールできません。
自分の課題は、どう振る舞うか、どこまで譲るかを自分で決めることです。そこまでやったなら、相手の反応は相手に委ねるしかないのです。
引いた後にもやもやが残るのは、相手の課題まで自分のリュックに入れてしまっているからかもしれません。「ちゃんと伝わったかな」「嫌われたかな」「あの人はどう思っただろう」。
こうした考えが頭を占領するとき、「それは相手の課題だ」と切り分けるだけで、少し気持ちが楽になることがあります。
完全に割り切れるかというと、正直難しい部分もあります。ただこの考え方を知っておくと、引いた後に必要以上に自分を責めずに済む場面が、少しずつ増えていくと思っています。
引いた後に使えるセルフトーク、3つ
最後に、引いた後の感情を整理するためのセルフトークを3つ紹介します。頭で理解するだけでなく、実際に言葉にして使ってみると、感情の整理に役立つでしょう。
① 「私は私の課題を果たした」
自分にできることはやった、という確認です。伝えるべきことを伝えた、あるいは今回は引くと自分で決めた、それだけで十分だという自己確認になります。
② 「相手がどう受け取るかは、相手の課題だ」
引いた後に相手の反応が気になり始めたとき、自分の思考を引き戻すための一言です。相手の感情や評価まで背負わないための、シンプルな切り分けです。
③ 「今回は自分で決めて引いた」
受動的な我慢ではなく、自分の選択だという確認です。先ほど書いた「逃げと引きの違い」にもつながりますが、「自分で決めた」という感覚を持てるかどうかが、引いた後の納得感に大きく影響するのです。
最初から完璧に使いこなせなくていいと思っています。引いた後にもやもやしたとき、この3つのどれかをふと思い出せたら、それで十分です。
まとめ
「負けるが勝ち」は、綺麗ごとかもしれません。
引いた自分を正当化したくて、この言葉を検索したことがある人もいると思います。私自身もそういう部分があります。
戦略的に引いてきたというより、面倒だったから、怖かったから、そうしてきた場面の方が多かった気がしています。
それでも、引き続けてきた10年以上の時間は、完全に無駄ではなかったと思っています。大きなトラブルなく関係を続けられたこと、争わずに済んだこと。結果だけ見れば、悪くなかった場面も確かにありました。
ただ正直に言うと、今でも深い話ができているわけではありません。本音を話すことへの怖さは、根強く残っています。それもしょうがないかな、と思っている部分もあります。
自分でもよくわからないけれど、ひきこもり時代よりは少しマシになった。今はそのくらいでいいと思っています。
「負けるが勝ち」を完璧に使いこなせなくていい。引いた後にもやもやしても、逃げだったのか引きだったのかわからなくても、それでいいと思います。
戦わないことを、少しだけ意識的に選べるようになる。そのくらいの変化が、じわじわと人間関係を楽にしてくれる気がしています。
