人付き合いを一切しないとどうなる?元ひきこもりが本音で答える

「もう人付き合いなんて、一切やめてしまいたい」

そう思ったことはありませんか。

人に気を遣い続けて、疲れ果てて、もういっそゼロにしてしまえばどれだけ楽だろう、と。その気持ち、私にはよくわかります。

私は10代の途中から約10年間、ひきこもり状態で過ごしました。家族以外の他者と、ほとんど関わらない生活です。

意図してそうしたわけではないのですが、結果として「人付き合いをほぼ一切しない」状態を、長期間にわたって経験することになりました。

この記事では、その経験をもとに正直に書いていきます。

「一切しないとどうなるのか」「実際に可能なのか」そして「人付き合いをやめたいと感じている本当の理由は何なのか」。

きれいごとは書きません。経験者として、思ったことをそのまま書きます。

目次

「人付き合いを一切したくない」と感じるのは、おかしくない

人付き合いを一切したくないと感じるのには、ちゃんと理由があります。その感覚は、あなたが特別おかしいわけでも、社会不適合なわけでもありません。まずはその話から始めさせてください。

そう感じるのには、ちゃんと理由がある

人付き合いをやめたいと感じる背景には、小さな積み重ねがあります。なぜそういう気持ちになるのかを整理します。

人付き合いをやめたいという気持ちは、突然生まれるものではありません。

私自身、子どもの頃から人の顔色をうかがう癖がありました。本当は行きたくなくても誘いを断れない。自分より相手を優先してしまう。

そういった日々の小さな「無理」が積み重なるからこそ、じわじわと疲れが溜まっていきます。

心理学でも、他者と過ごすことで生じる「社会的疲労(social fatigue)」という概念があります。人と関わることで消耗しやすい人が一定数いることは、研究でも示されています。

「もう人付き合いをやめたい」と感じるのは、それだけ消耗してきた証拠です。おかしいのではなく、疲れているのです。

ただ、「一切しない」と「無理な付き合いをやめたい」は別物かもしれない

「一切しない」という言葉の裏に、本当は何を求めているのかを考えてみます。

「人付き合いを一切したくない」と感じていても、本当に求めているのは「完全ゼロ」ではないかもしれません。

私がひきこもりを経験して気づいたのは、「無理な付き合いをしなくていい状態になりたかっただけ」だったということです。当時の自分にはそれが言語化できていませんでした。

心理学では「孤独(solitude)」と「孤独感(loneliness)」は別の概念とされています。一人でいること自体は問題ではなく、望むつながりが得られない苦しさが問題になるためです。

「一切やめたい」という言葉の裏にある本音が何なのか、読み進めながら考えてみてください。

約10年、人付き合いほぼゼロで生きた話

ここからは、私自身の経験を正直に書きます。美化するつもりはありません。実際にどうだったかを、できるだけそのまま伝えます。

最初は、正直なところ楽だった

人付き合いをやめた直後に感じる変化について整理します。最初に訪れるのは、解放感です。

人付き合いをほぼゼロにすると、最初は楽になります。

気を遣う疲労が消えるからです。誰かの顔色をうかがわなくていい。誰かに合わせなくていい。自分のペースだけで生きられる時間が、突然手に入ります。時間もお金も、全部自分のためだけに使えます。

私自身、ひきこもり初期はそういった解放感がありました。誰かに気を遣わなくていい静けさは、長年消耗してきた人間にとって、確かに心地よいものでした。

ただし、これは「最初は」という話です。

時間が経つにつれ、静かに積み重なっていったもの

楽さの裏側で、時間とともに積み重なっていくものがありました。それが何だったかを正直に書きます。

楽さと同時に、静かなしんどさが忍び込んできました。

明確にこれとは言えないのですが、それこそが最大の苦しみだったかもしれません。

昼夜逆転して時間感覚がおかしくなる。社会の外側に置かれているような感覚が続く。自分だけ時間が止まっているようで、焦りだけが積み重なっていく。

「楽になりたくてそうなったはずなのに、なぜこんなにしんどいんだろう」という感覚が、静かに積み重なっていきました。当時はその理由すら、うまく言葉にできませんでした。

なお、正直に言うと当時の感覚はもうだいぶ薄れています。ただ、あの感覚だけは今も記憶に残っています。

「楽」と「孤独」は、同時に存在していた

楽さとしんどさは、どちらか一方ではありませんでした。両方が本当だったということを、ここで整理します。

人付き合いをほぼゼロにした生活は、楽でもあり、しんどくもありました。

この二つは矛盾しているように見えて、実際には同時に存在していたからです。

他人に煩わされない静けさがある一方で、社会とのつながりが少しずつ失われていく感覚もありました。「楽になりたい」と「誰かとつながりたい」という気持ちは、矛盾しません。

京都大学の研究でも、孤独を好む傾向がある人でも孤独感は高まりやすいことが示されています。

一人でいることを選んでも、孤独感は完全には消えないのです。

メリットとデメリット、正直なところ

ここでは、人付き合いをほぼゼロにした経験から感じたメリットとデメリットを正直に書きます。結論から言うと、メリットよりデメリットのほうが大きかったというのが私の本音です。

人付き合いをやめて得られるもの

まずはメリットから正直に書きます。ただし、手放しに良いとは言えない部分もあります。

人付き合いをやめることで得られるものは、確かにあります。

最も大きいのは、他人に煩わされない時間です。誰かの都合に振り回されない。気を遣う疲労がなくなる。自分のペースで生きられるからこそ、時間もお金も自分のためだけに使えます。

ただし、これは諸刃の剣です。他者との交流がなくなると、そこで生まれるはずだった出来事や出会いも同時になくなるためです。

得られるものと失うものが、常にセットでついてきます。

知っておいたほうがいいこと①:孤独と感覚のズレ

次に、時間をかけて現れてくるデメリットについて整理します。これは経験しないとわかりにくい部分です。

人付き合いをやめると、孤独感は思ったより深くなります。

最初は静けさとして感じていたものが、時間とともに少しずつ重くなっていくからです。その重さは急には来ません。

気づいたときには、抜け出しにくい状態になっています。

厚生労働省の調査でも、社会的孤立の状態にある人は生きる意欲や自己肯定感が低くなりやすいことが示されています。孤独感は放置すると、深くなる一方です。

参考:厚生労働省令和2年度社会福祉推進事業『社会的孤立の実態・要因等に関する調査分析等研究事業報告書』(PDF)

知っておいたほうがいいこと②:能力とつながりの低下

最後に、長期間にわたって現れるデメリットについて書きます。これが最も現実的な問題かもしれません。

人付き合いをやめ続けると、コミュニケーション能力は落ちます。

使わない能力は衰えるからです。久しぶりに人と話すと、言葉が出てこない。何を話せばいいかわからない。長期間にわたって人と関わらない生活を続けると、その感覚はより深くなっていきます。

さらに、いざというときに頼れる人間がいない状況は、思ったより怖いものです。

普段は気にならなくても、何か困ったときに初めてその怖さに気づきます。これは経験してわかったことです。

「人付き合いを一切しない生活」は現実的に可能か

ここまで経験をもとに正直に書いてきました。最後に「実際のところ可能なのか」という疑問に答えます。結論から言うと、完全ゼロは難しいというのが私の考えです。

「完全ゼロ」と「ほぼゼロ」は違う

まず「一切しない」という言葉の定義を整理します。完全ゼロとほぼゼロは、現実的に大きく異なります。

人付き合いを完全ゼロにするのは、現実的にかなり難しいです。

仕事・行政手続き・家族など、意図しなくても人と関わらざるを得ない場面が生活の中には必ず存在するためです。

私自身、ひきこもり期間中も家族との会話は多少ありました。完全ゼロではなく「ほぼゼロ」だったのが正直なところです。

心理学でも、独居生活を送っていても家族や知人との交流が保たれていれば社会的孤立とは呼ばれないとされています。「一切しない」の定義自体が、実はあいまいなのです。

「ほぼゼロ」は工夫次第で近づけられる

完全ゼロは難しくても、ほぼゼロに近づけることは可能です。具体的にどういう形が考えられるかを整理します。

在宅ワークや最小限の接触に絞ることで、人付き合いをかなり減らすことはできます。

私自身も、作業所での仕事を続ける中で、関わる人の数や場面を少しずつ自分なりに絞ってきました。

全部をゼロにしようとするより、しんどいものだけ減らしていくほうが、現実的に続けやすいと感じています。

完全ゼロを目指すより、自分が許容できる範囲を少しずつ見つけていくほうが、長続きしやすいと思います。

「可能か」より「自分はどこまで許容できるか」が本質的な問い

最後に、この問いの本質について書きます。「可能か不可能か」より、もっと大切な視点があります。

「人付き合いを一切しないことは可能か」という問いより、「自分はどこまで許容できるか」を考えるほうが本質的です。

私がひきこもりから抜け出すきっかけは、親のカウンセリングについていったことでした。超久しぶりに他者と話すので、めちゃくちゃ緊張しました。ところが意外と話せたのです。

そこから自分もカウンセリングに通うようになりました。振り返ると、本質的には他者との交流を望んでいたのかもしれません。

「一切やめたい」と思っていた自分が、実は「無理な付き合いをやめたかっただけ」だったと気づいたのは、ずいぶん後になってからです。

一切かゼロかの二択ではなく、自分なりの量と質を決める。それがこの問いに対する、私なりの答えです。

まとめ

約10年のひきこもり経験を経て、今の私が思うことを最後に書きます。

「人付き合いを一切したくない」と感じているあなたは、おかしくありません。それだけ消耗してきた証拠です。その気持ちは、私にはよくわかります。

ただ経験者として正直に言うと、人付き合いをほぼゼロにして良かったことはほとんどありませんでした。

静かに積み重なる孤独感、社会との感覚のズレ、いざというときに頼れる人がいない怖さ。これらは経験しないとわからないしんどさです。

そして気づいたことがあります。「一切やめたい」と思っていた自分が本当に求めていたのは、「無理な付き合いをしなくていい状態」だったということです。

完全ゼロではなく、自分が許容できる範囲の人付き合いがあれば十分だったのかもしれません。

深い付き合いでなくていいです。多少の人との関わりがあるだけで、メンタル的にずいぶん違います。これが、経験者としての私の正直な結論です。

最終的にどうするかは、あなた自身が決めることです。同じ経験をした人間として、この記事が少しでも参考になれば幸いです。

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