職場でまた孤立してしまった。友達もいない。「自分はなぜこんなに人間関係が下手なんだろう」と思ったとき、ふと不登校だった過去が頭をよぎる。
そういう気持ちで、ここにたどり着いた人に向けて書きます。
私は小学5年生から中学2年生まで不登校を経験し、その後約10年間ひきこもっていました。現在は40歳。A型作業所に10年以上通いながら生活しています。
「不登校のその後、人間関係はどうなるのか」という問いに、完全に解決した人間として答えるつもりはありません。
今も苦手な部分は残っています。それでも、当事者として40年分の経験から正直に話せることがあります。
きれいごとは書きません。「大丈夫ですよ」とも言いません。ただ、同じような経験をしてきた一人として、思っていることを書きます。
不登校が人間関係に影響するのは、事実です
最初に、はっきり言います。不登校の経験は、その後の人間関係に影響します。「大丈夫ですよ」とも「気にしすぎですよ」とも言いません。データがそれを示しており、私自身の経験もそれを示しています。ただ、影響するからといって、それがあなたのせいだという話にはなりません。その理由も、あわせて説明します。
データが示す「影響」の実態
不登校の経験が、成人後の人間関係に影響を与えることは、公的なデータでも確認されています。
文部科学省がおこなった追跡調査 (中学3年時に不登校だった生徒を5年後に追跡・有効回答1,576人)では、不登校が継続した理由のひとつとして、以下の回答が挙げられています。
「いやがらせやいじめをする生徒の存在や友人との人間関係のため」:40.6%
4割以上の不登校経験者が、人間関係の問題を抱えていたということです。
さらに令和7年に文部科学省が実施した最新の追跡調査(18〜59歳の不登校経験者18,207人が対象)でも、成人後に友人関係の困難を感じている経験者が多いことが報告されています。
つまり、人間関係への影響は「気のせい」でも「弱さ」でもありません。データが示している事実です。
ただし、影響する=あなたのせいではない
「影響する」という事実を示しました。ただ、ここで誤解してほしくないことがあります。
影響があるということは、あなたの性格や努力不足のせいではない、ということです。
考えてみてください。不登校の経験者が人間関係で苦労しやすいのは、次のような理由からです。
- 本人の意志や努力とは、別のところで影響が生じている
- その影響は、成人後まで持ち越されることがある
- あなたが弱いのではなく、そういう構造になっているだけだ
「情けない」「自分がダメだから」と自分を責めている人に、まず伝えたいことがあります。
それは、あなたが悪いのではなく、そういう構造の中にいただけだということです。
では、その構造とは何なのか。次の見出しで詳しく説明します。
学校には、「こっそり練習する場」があった
不登校の経験がなぜ人間関係に影響するのか。その構造を説明します。結論を先に言うと、学校という場所には「人間関係を練習する機能」が備わっており、不登校期間にはその練習がごっそり抜けてしまいます。これがすべての起点です。
10代は「人間関係の練習場」だった
10代という時期は、人間関係を「こっそり練習する」ための時間でした。
10代は、友達とぶつかったり、仲直りしたり、グループに入れてもらえなかったりしながら、「人間関係とはこういうものだ」を体で覚えていく時期だったのです。
たとえば、学校生活の中では次のような「練習」が自然に起きていました。
- 挨拶のタイミングを体で覚える
- 話の輪への入り方を、失敗しながら学ぶ
- 相手が怒ったとき、どう対処するかを経験する
- 「この人とは合わない」と気づき、距離の取り方を学ぶ
これらは授業で教わるものではありません。日常の中で、気づかないうちに積み重なっていくものです。
不登校期間は、この練習がごっそり抜けました。サボったわけではありません。ただ、抜けたのです。
その「抜け」は成人後まで続く
練習の場が抜けたことで、何が起きるのでしょうか。その影響は、子ども時代だけにとどまらず、成人後まで持ち越されることがあります。
私は作業所に初めて通い始めたとき、どう振る舞えばいいのかがまったくわかりませんでした。挨拶のタイミング、会話の距離感、場の空気の読み方。すべてが手探りでした。
心理学者のボウルビィは、人間は過去の対人経験をもとに「人間関係とはこういうものだ」という無意識の反応パターンを作ると説明しています。
不登校期間に傷ついた経験が積み重なると、その後も似た状況で無意識に身構えるようになります。これは意志の弱さとは関係がありません。経験が作り出した、いわば「癖」のようなものです。
ただ、ここで重要なことがあります。この癖は、変えることができます。
なぜなら、経験によって作られたものは、新しい経験によって少しずつ上書きされていくからです。私自身がそうでした。
では、実際にどんな影響が出て、どう変わっていったのか。次の見出しで正直に書きます。
私が実際に感じてきた影響——正直に書きます
ここからは、一般論をいったん手放します。私が実際に経験してきた「不登校後の人間関係への影響」を、具体的に書きます。きれいごとは書きません。今も解決していないことも、そのまま書きます。
相手の顔色を、読みすぎる
不登校後の人間関係で、私が最も消耗してきたのは、相手のちょっとした変化を読みすぎてしまうことです。
具体的にはこういう場面です。昨日は普通に話せていた人が、今日は少しそっけない。それだけで、頭の中でこんな声がぐるぐると始まります。
「あれ、今日はなんか違うな」 「気のせいなのかな」 「昨日、何か嫌なことを言ってしまったのかな」
客観的に見れば、相手がたまたま疲れていただけかもしれません。でも、そういう冷静な判断ができなくなるのです。
この「ぐるぐる」は、その日だけでは終わりませんでした。家に帰っても続き、翌日も引きずることがよくありました。
あなたも、これに近い感覚があるでしょうか。
しんどいのは、この状態のまま次の日も同じ人に会わなければならないことです。
億劫な気持ちがある一方で、「なんとか挽回して、もう一度普通に話せないか」とも思っていました。
そこで私がやっていたのは、様子を見ながらもう一度話しかけてみることです。そのときの結果は、大体こういうパターンに落ち着きます。
- 普通に返ってきた場合:「やっぱり気のせいだったか、良かった」と心からホッとする
- やっぱりそっけなかった場合:いったん話すのをやめ、時間をおいて再チャレンジの機会をうかがう
- それでもダメだった場合:「もう仕方ない」と手放す
今思えば、これは非常に消耗する生き方でした。
ただ、この「ぐるぐる」が起きるのも、経験値の少なさから来ていると今は理解しています。
輪の中でぽつんと浮いている感覚
雑談の場での「浮き感」も、長年抱えてきた感覚のひとつです。
誤解しないでほしいのですが、私は雑談自体は嫌いではありません。話すこと自体は、むしろ好きなほうです。
ただ、こういう場面が頻繁にありました。周りが盛り上がっているのに、「何がそんなに面白いのか」がよくわからないのです。
たとえば、こんな話題のときです。
- スマホのゲームの攻略話
- パチンコの話
- 特定のテレビ番組の話
自分がまったく触れてこなかった話題で周りが盛り上がっているとき、できることは愛想笑いで相槌を打つことだけでした。輪の中にいるのに、自分だけ別の場所にいる感覚です。
「早く雑談終わらないかな」と思っていたことも、正直あります。
ただ、これも徐々に変わっていきました。最初は「なんとか輪の中に入らなければ」と思っていました。
でも気づいたら、「興味のない話題なら別にいい」と思えるようになっていたのです。
明確なきっかけがあったわけではありません。時間をかけて、少しずつ割り切れるようになっていきました。
それでも「今も続いている」理由
人間関係が苦手なまま、なぜ10年以上同じ作業所に通い続けられているのか。正直に答えます。
理由の中心は、シンプルにこれです。
お金を稼ぐためです。
きれいごとを言うつもりはありません。生活のために働く必要があり、そのために通い続けています。この割り切りが、続けられている最大の理由です。
ただ、それだけではありませんでした。通い続ける中で、気づいたことがあります。それは「意外と自分は人間が嫌いではないな」という発見です。
特にこういう瞬間に、そう感じます。
- 話が弾んで、充実した会話ができたとき
- 「この人は自分のことが嫌いではないんだな」と感じたとき
- 相手が自分に話しかけてきてくれたとき
「嫌われていなくてよかった」という感覚は、単純に嬉しいものです。そしてそう感じた翌日は、作業所に行くのが少し楽になりました。楽しみにさえなることもありました。
いくらお金のためと割り切っていても、人間関係が良いに越したことはありません。今はそう思っています。
ただ、続けてきた中で「なぜ自分は人間関係がこんなにも苦手なのか」と考えたこともありました。次の見出しで、その葛藤について正直に書きます。
「不登校のせい」か「自分のせい」か——私はこう考えた
「不登校の経験が人間関係に影響する」という話をしてきました。ここで一度、多くの不登校経験者が抱えるであろう葛藤に正面から向き合いたいと思います。「これは不登校のせいなのか、それとも自分のせいなのか」という問いです。
経験値の少なさは、あらゆる場面で感じてきた
人間関係について「不登校のせいだ」と明確に思ったことは、正直ありません。ただ、「経験値の少なさ」はあらゆる場面で感じてきました。
具体的には、こういう場面です。
- 挨拶のタイミングがわからない
- 初対面の人に、最初に何を言えばいいかわからない
- 自分の振る舞いが常識的かどうか、判断できない
- 「変な行動をしていないだろうか」という不安が常にある
これらはすべて、経験値があれば自然に身についていたはずのことです。でも私には、その経験を積む機会が少なかった。だから社会に出てから、ずっと手探りでした。
この感覚は、今もゼロにはなっていません。周りの反応を見れば「たぶん大丈夫」とわかります。
それでも「何かおかしなことをしていないだろうか」という感覚が、完全に消えることはないのです。
「情けない」と「仕方ない」、両方が本音
経験値の少なさに気づいたとき、自分をどう思ったか。正直に言います。
「情けない。これはダメだ」と思いました。同時に「仕方ない」とも思いました。この両方が、今も正直なところです。
どちらか一方ではありません。「仕方ない」だけでは前に進めない気がするし、「情けない」だけでは自分を責め続けることになります。この葛藤は、長い間ずっと頭の中にありました。
ただ、今は少し整理がついています。それはこういう考え方です。
「影響を知ること」と「そこからどう動くかを選ぶこと」は、切り離して考えていい。
不登校の経験が影響したのは事実です。経験値が少なかったことも、否定しません。それはあなたのせいだけではありません。
ただ「だから仕方ない」で止まってしまうと、そこで思考が終わります。
「自分に起きていたことの構造を知る」ことと、「今どう動くかを自分で選ぶ」ことは、別の話です。これは「もっと努力しろ」という話ではありません。
構造を理解した上で、自分のペースで選んでいけばいい。そう思えるようになってから、少し楽になりました。
「情けない」と感じる自分も、「仕方ない」と感じる自分も、どちらも否定しなくていいと思っています。
変わるために、私がやってきたこと
「変わる」と伝えたいと思います。ただし「努力すれば大丈夫」という話ではありません。私が実際にやってきたことを、具体的に書きます。特別なことは何もありません。それでも、確実に変わってきました。
変わる。ただし「遅い」
不登校経験者の人間関係は、時間をかけて変わっていきます。ただし、正直に言うと「遅い」です。
同世代の人たちが10代のうちに積み重ねてきた経験を、私たちは20代・30代になってから積み重ねていくことになるからです。
5年、場合によっては10年単位で遅れることもあります。これは厳しい現実ですが、事実として受け止めてきました。
ただ、こう考えるようにもなりました。
「遅れている」のではなく、「スタートが違っただけ」だと。
10代に積めなかった経験は、20代・30代・40代になってからでも積み重ねられます。時間はかかります。でも、取り戻せないわけではありません。私自身が、そうでした。
「全員と仲良くなろうとしない」と決めた
人間関係の消耗を減らすために、最も効果があったのは「全員と仲良くなろうとしない」という割り切りでした。
以前は、職場や作業所の全員に気を遣っていました。全員に好かれようとすると、全員の顔色を読むことになります。それが最も消耗する状態でした。
徐々にこう思えるようになっていきました。
- この人とは、深く話せればいい
- この人とは、挨拶だけでいい
- この人とは、仕事上の会話だけでいい
関係の深さを、自分で決めていい。
そう気づいてから、気持ちが少し楽になりました。
明確なきっかけがあったわけではありません。時間をかけて、じわじわと割り切れるようになっていきました。
「苦手を克服する」より「自分が動ける条件を知る」
「苦手を治そう」と思っていた時期より、「自分が動ける条件を知ろう」と思えるようになってからのほうが、ずっと楽になりました。
私の場合、こういう傾向があります。
- 大勢の場:発言するタイミングがつかめず、黙ってしまうことが多い
- 少人数の場:今はそれほど苦手意識がなく、話せる
- 1対1の場:作業所に入りたての頃は苦手だったが、今はそれなりに話せる
作業所に入りたての頃は、1対1の会話でさえ緊張していました。それが10年続ける中で、少人数なら普通に話せるようになっていきました。
苦手を無理に克服しようとしたからではありません。自分が動ける条件の中で、場数を踏んできた結果です。
場数を踏んで、経験値が積み重なった
結局のところ、変われた理由はシンプルです。場数を踏んで、経験値が積み重なったからです。
うまくいかなかった日は、じわっとした苦しさが頭の中で続いていました。
「また失敗した」「なんでうまくできないんだろう」という感覚です。それでも作業所に通い続けました。
お金のためという理由が大きかったですが、続けたことで経験値が少しずつ積み重なっていきました。
そして今、次のような状態になっています。
作業所に入りたての頃の自分からは、想像できなかったことです。自分自身が大きく変わった感覚はありません。ただ、場数を踏んで慣れた。それだけです。
最初に話した「不登校期間に、人間関係の練習がごっそり抜けた」という話を覚えているでしょうか。裏を返せば、こういうことになります。
抜けた練習は、大人になってからでも積み重ねられる。
時間はかかります。同世代より遅いかもしれません。でも確実に変わります。私がそうでした。
まとめ
この記事で伝えたかったことを、最後に整理します。
不登校の経験が、その後の人間関係に影響するのは事実です。
データも、私自身の経験も、そう示しています。
顔色を読みすぎて消耗する。輪の中でぽつんと浮く感覚がある。挨拶のタイミングがわからない。常識的な振る舞いができているかどうか、判断できない。これらはすべて、経験値の少なさから来ています。
でも、それはあなたのせいだけではありません。
10代という人間関係の練習場に、十分にいられなかっただけです。サボったわけでも、努力が足りなかったわけでも、性格が悪いわけでもありません。練習の機会が、他の人より少なかっただけです。
そして、終わりでもありません。
私は今も「常識的な振る舞いができているか」という不安が完全に消えたわけではありません。人間関係が得意になったわけでもありません。それでも、作業所に10年以上通い続けて、一緒にカラオケやご飯に行ける仲間ができました。
自分が大きく変わった感覚はありません。ただ、場数を踏んで、経験値が少しずつ積み重なっただけです。
抜けた練習は、大人になってからでも積み重ねられます。時間はかかります。でも確実に変わります。
あなたも、まだ途中でいいのです。 私も、まだ途中です。
