「一人のほうが楽なのに、なぜか寂しい」
この矛盾した感覚、おかしくありません。おそらく、あなただけが抱えているものでもありません。
人付き合いが苦手で、友達もほとんどいない。それでも「完全にいらない」とは言い切れない。
そのどっちつかずの感覚を抱えたまま、この記事にたどり着いた人に向けて書いています。
この記事を書いているのは、不登校とひきこもりを10年以上経験し、今もA型作業所に通い続けている40歳の男です。
人付き合いが得意になったわけではありません。友達が急に増えたわけでもない。それでも以前よりずっとしんどくない状態で、なんとかやれています。
「こうすれば友達ができます」という話はしません。ただ、苦手なままでも意外となんとかなるという話なら、できます。
「一人でいい」と思っているのに、なぜか寂しい。その矛盾、おかしくない
一人のほうが気楽だと思っています。誰かに気を使って消耗するくらいなら、一人でいるほうがずっとマシだとも感じています。それは本音です。
でも、誰かのSNSを見てふと「自分はこのままでいいのか」と思う瞬間があります。休日に予定がない自分に気づいたとき、なんとなく落ち着かない気持ちになることもあります。それも本音です。
厄介なのは、この感覚を誰かに話せないことです。「友達がいなくて寂しい」と打ち明けられる相手がいるなら、最初からそんなに困っていません。
だから結局、モヤモヤするしかない。この記事にたどり着いた人の中に、そういう人がいるのではないかと思っています。
この2つの感情は矛盾しているように見えますが、どちらかが嘘というわけではありません。
研究でも、一人でいたいという気持ちと孤独感は、矛盾なく同時に存在しうるものだと示されています。
私自身も長い間、この矛盾の中にいました。ひきこもっていた時期は「どうせ自分はダメだ」という自己嫌悪と、「一人でやっていくしかない」という諦めが同居していました。
どちらかを選べるような話ではなく、両方が本音でした。
「一人でいい」と思いながら、それでも「なぜか寂しい」と感じる。そのどっちつかずの感覚は、おかしくありません。
ただそういう人間がいる、というだけの話です。
なぜ人付き合いが苦手になるのか。「性格が悪い」からではない
人付き合いが苦手だと気づいたとき、多くの人は「自分の性格に問題があるのではないか」と考えます。でもそれは、正確ではありません。苦手になるには、それなりの理由があります。ここでは2つの視点から整理していきます。
「人間関係=消耗する」という学習が積み重なった結果
過去のネガティブな経験が蓄積されると、脳は人間関係を「リスク」として認識するようになります。
品川メンタルクリニックの医師監修コンテンツでも、「過去に強く拒絶された経験があると、新しい関係に対しても不信感や警戒心を持ちやすくなる」と指摘されています。
人付き合いが苦手になるのは性格の問題ではなく、過去の経験への自然な反応である場合が多いのです。
私の場合、不登校のころは人付き合いが苦手とは思っていませんでした。
でも家族以外と誰とも関わらないひきこもりの状態が長く続いてから、初めて「自分は人付き合いが苦手だ」と気づきました。
「苦手だから避けた」のではなく、「関わらない状態が続いたことで、苦手になっていった」という順番でした。
久しぶりに自転車に乗ろうとしたらうまく乗れなかった、という感覚に近いかもしれません。
友達の数と、人間性は別の話
人付き合いが苦手な人が陥りがちな思い込みに、「友達が少ない=ダメな人間だ」というものがあります。でもこれは、根拠のない等式です。
内向的な人は刺激への感度が高く、人と関わること自体にエネルギーを多く使います。
ベルギーの心理学者ジェニファー・ピケット氏らの研究では、内向的な人が外向的に振る舞うと、わずか1時間ほどで活力が枯渇するという結果も出ています。
消耗しやすいのは性格の欠陥ではなく、神経系の特性の違いです。
さらに、友人関係と幸福感に関する研究では、幸福感に関係するのは友達の「数」よりも「質」だと示されています。
友達が少ないこと自体は、人間性の問題でも幸福度の低さを意味するものでもありません。
私自身も友達と呼べる人は多くありません。それでも数人、信頼できる人がいます。意図して作った関係ではなく、気づいたらできていた関係です。
友達の数が少ないことと、誠実に人と関われるかどうかは、まったく別の話だと思っています。
では実際に、苦手なままどうやって10年続けてこられたのか。次はその話をします。
苦手なまま、友達がほぼいないまま、10年続けてこられた話
人付き合いが得意になったわけではありません。友達が急に増えたわけでもない。それでも10年以上、A型作業所で人間関係を続けてこられました。何か特別なことをしたわけではありませんが、振り返ってみると、意識せずにやっていたことが3つありました。
「仲良くなろう」ではなく「作業に集中する」から始めた
作業所に初めて通い始めたとき、頭の中はぐるぐるしていました。
「話しかけられたらどうしよう」「聞かれたくないことを聞かれたらなんて返そう」。
なんと声をかけられるかわからず、キョロキョロ周りをうかがっていたのを覚えています。
そのとき意識的に選んだわけではありませんが、私がやったのは「まず作業に集中する」ことでした。
友達を作ろうとか、仲良くなろうとか、そういうことは考えていませんでした。ただ目の前の作業をまじめにこなしていたのです。
するとある日、作業について少し話せる人が出てきました。「これってどうやるんでしたっけ」「この部分、こうしたほうがよくないですか」。そういう小さなやりとりが、少しずつ積み重なっていきました。
作業の話だけだったものが、気づくといつの間にか「最近どうですか」という雑談になっていました。
振り返ると、作業をまじめにこなしていたことで、「あの人はいい加減な人ではない」という印象を自然に作れていたのかもしれません。
人間関係の入り口として、これは意外と大事なことだったと今は思っています。
「仲良くなろう」と意識して動いたわけではなく、気づいたらそうなっていた、という感じです。
人間関係を目的にしなかったことが、逆によかったのかもしれません。
合わない人とは、最低限の関わりだけにした
10年いれば、合わない人も当然います。そういう人とは、あからさまに避けるわけではないけれど、最低限の関わりだけにしていました。
「全員と仲良くなろう」としなかったことが、続けられた理由のひとつだと思っています。全方位で好かれようとするのが、一番消耗します。
合う人とは自然につながり、合わない人とは必要以上に関わらないようにするのです。それだけのことですが、これを意識するようになってから、だいぶ楽になりました。
友達の数を目標にしないということも、ここにつながります。数人、信頼できる人がいれば十分だと今は思っています。
10年やってきて正直に感じるのは、人間関係の広さよりも、消耗しない関わり方を続けられるかどうかのほうが、自分には大事だったということです。
気づいたらできていた関係が、今も続いている
意図して作った関係は、意外と長続きしないものだと感じています。
B型作業所でできた数人の友達も、A型作業所での人間関係も、どちらも「仲良くなろう」と思って動いたわけではありませんでした。
気づいたらそうなっていた、というものばかりです。
思い返すと、共通しているのは「同じ場所に、同じ時間いた」というだけのことです。
特別なきっかけも、積極的なアプローチも、何もありませんでした。ただ一緒にいる時間が積み重なって、自然と話せる関係になっていたのです。
無理に距離を縮めようとしなかったからこそ、相手にとっても負担が少なかったのかもしれません。そしてそういう関係のほうが、結果として長く続いています。
「友達を作ろう」と意気込まなくていい。同じ場所に居続けるだけで、気づいたらできている関係があります。
少なくとも私の場合は、そうでした。
「ちょっとはマシ」でいい。自分が今も心がけていること
人付き合いが得意になることを目指してきたわけではありません。ただ、以前よりしんどくない状態になってきたのは確かです。特別なことはしていませんが、振り返ると意識が変わったことが2つありました。どちらも大げさなことではなく、小さな気づきです。
「孤独」と「孤立」は違うと気づいた
ひきこもっていた時期の一人の時間は、今思えば「孤立」でした。やることがない、関わる人がいない、仕方なく一人でいる。あの時期の孤独感は、底に沈んでいくような重さがありました。
今の一人の時間は、感覚がまったく違います。仕事もある、たまに一緒に出かける人もいる。その上での一人の時間なので、しんどさが全然違います。生活の一部として一人の時間がある、という感じです。
日本応用心理学研究でも、「一人でいること」と「孤独感」は別の概念として区別されています。一人でいることが好きな人が孤独かというと、そうではありません。
この区別に気づいてから、一人の時間を以前ほど後ろめたく感じなくなりました。
「一人でいたい」という気持ちを、無理に否定しなくていい。それだけで、少し楽になれる気がしています。
将来への不安は、今できることをやるだけと決めた
友達が少ないまま歳をとったらどうなるのか。老後や病気のことを考えると、不安になることが正直あります。これは綺麗ごとを言っても仕方がないので、正直に書きます。
ただ、その不安を突き詰めていくと、答えが出ない問いをぐるぐると考え続けることになります。考えれば考えるほど、しんどくなるだけです。
今の私の結論は、「今つながっている人を大切にする」というものです。数は少なくていい。でも今そこにいる人との関係を、丁寧に続けていく。
それだけのことが、漠然とした将来不安よりもずっと現実的な答えだと感じています。
完全に解消された不安ではありません。でも、答えの出ない問いをぐるぐる考え続けるよりも、目の前の関係を大切にするほうが、自分には合っていました。
まとめ:解決しなくていい。それでも「ちょっとはマシ」は目指せる
人付き合いが得意になることが、ゴールではありません。友達を100人作ることも、誰とでも打ち解けられるようになることも、この記事が目指していたことではありません。
「苦手なまま、それでもなんとかやれる」という状態に近づくことが、私にとってのゴールでした。そしてそれは、実際に可能でした。
振り返ってみると、やってきたことはシンプルです。人間関係を目的にせず、目の前のことに集中した。
全員と仲良くなろうとせず、合わない人とは必要以上に関わらなかった。一人の時間を後ろめたく思うのをやめた。
特別なスキルも、強い意志も、必要ありませんでした。
ただ正直に言うと、今も完全に解決したわけではありません。人付き合いが苦手なままであることに、ふと気づいて落ち込む日もあります。友達が少ないことを、誰かと比べて焦る瞬間もあります。
それでも以前と決定的に違うのは、その感覚に引きずられる時間が、だいぶ短くなったことです。
この記事を読んでいるあなたも、おかしくありません。
「一人でいい」と思いながら「なぜか寂しい」と感じる矛盾も、友達が少ないまま年齢を重ねていく不安も、それを誰にも言えない感覚も、全部おかしくないのです。
どうするかは、あなたが決めていいことです。友達を増やそうとしてもいいし、しなくてもいい。
ただ、苦手なままでも意外となんとかなる、ということだけは、10年やってきた自分が言えることです。
