夜、求人サイトを何度も開いては閉じて、「一般就労は、自分には難しいのかもしれない」。
そう感じたことはありませんか。
あるいは、まだ一度も挑戦していないのに、その言葉がずっと頭の中を引っかかっているのかもしれません。
甘えなのか、それとも自分には本当に向いていないのか、自分では判断がつかない。そんな気持ちのまま、この記事にたどり着いた方もいると思います。
先に結論を言います。一般就労を難しいと感じることは、能力が足りない証拠でも、甘えている証拠でもありません。
私は今、A型作業所で10年以上働いています。ただし、この10年間、ずっと同じ場所にいたわけではありません。
途中の8ヶ月間、地元のホテルの厨房で、一般就労を経験しました。
作業所の紹介をきっかけに飛び込み、慣れないスピードと空気の中で働き、そして辞めて、また作業所に戻ってきました。
この記事では、その8ヶ月間に実際に何があったのか、何がどうしんどかったのかを、正直に書いていきます。
これから挑戦しようとしている方にも、すでに挑戦して立ち止まっている方にも、届けばと思っています。
一般就労の「難しさ」は、あなただけの感覚ではありません
「自分だけが弱いのではないか」。そう感じている方に、まず知ってほしい数字があります。
独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構(JEED)の調査によると、精神障害のある方に限っても、就職後1年で職場に定着できているのは49.3%です。
およそ2人に1人が、1年以内に一般就労を離れている計算になります(出典:独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構「障害者の就業状況等に関する調査研究」)。
念のため触れておくと、この記事は、障害や心の不調を抱えながら一般就労を考えている方はもちろん、私のようにひきこもりなどを経験し、一度ドロップアウトしてから一般就労に挑戦する方も含めて、想定して書いたものです。
診断や手帳がある方の中でも、これだけの割合の人が離職を経験しています。
診断や制度とのつながりがないまま、一人で飛び込んだ場合であれば、なおさら難しく感じても不思議ではないと思います。
とはいえ、この数字だけでは、実際に何がどう難しいのかは伝わりません。
ここからは、私自身が経験した8ヶ月間の話をしていきます。
きっかけは、作業所のカフェでした
ホテルの厨房で働くことになったきっかけは、実はミシンではありませんでした。作業所内で運営していたカフェで、料理を担当する役割が回ってきたことが始まりです。そこから面接にたどり着くまでの経緯を、順番に振り返っていきます。
ミシンから離れ、カフェで料理を任された日々
当時、私はA型作業所で工業用ミシンを使った縫製の仕事をしていました。
ところがある時期、ミシンから離れて、作業所内で運営していたカフェで作業するメンバーになったことがあります。
たまたま巡ってきた役割で、そこで料理を担当することになりました。
最初は不慣れでしたが、少しずつ料理ができるようになっていきました。
そしてある程度できるようになった頃、作業所の管理者が、知り合いだったホテルの人事担当の方に、私のことを率先して推薦してくれたのです。
「外の世界に、1回チャレンジしてみては」と言われた日の迷い
「1回、外の世界にチャレンジしてみては」そう声をかけられたとき、正直、かなり迷いました。
ミシンにも慣れてきた頃で、わざわざ知らない場所に飛び込む必要があるのか、という気持ちもありましたし、それなりに悩んだのを覚えています。
それでも最終的には、「1回、やってみよう」という気持ちのほうが勝って、挑戦することに決めました。
最初から一人で放り出されたわけではありません。厨房の見学は1回、その後の体験も数回、A型作業所の職員さんと一緒に行かせてもらいました。
まだ何者でもない自分のまま、知っている人と一緒に、少しずつ知らない場所に慣れていく形でした。
面接で聞かれた「空白期間」、ドキッとした瞬間
面接は1回だけで、特に変わった内容ではなかったと記憶しています。ただ、1つだけはっきり覚えていることがあります。
「空白期間」について聞かれたことです。
私には、長くひきこもっていた時期があります。その質問をされた瞬間、ドキッとしました。
それでも、取り繕ってもしょうがないと思い、その時期の状況や、そこから今まで自分がやってきたことを、素直に話しました。
すると、一緒に面接に来てくれていたA型作業所の管理者の方が、日頃の作業の様子や、真面目に勤務していることをきちんと補足してくれたのです。それがとても嬉しかったのを覚えています。
おかげで、向こうの方もそれ以上は深く突っ込んできませんでした。
ちなみに、このとき私が採用された枠が、正式に障害者枠だったのか、一般枠だったのか、実は今も自分でははっきりと分かっていません。
状況から考えると、障害者枠だった可能性が高いとは思っていますが、確証はありません。
ただ、いずれにしても、正社員ではなくパート・アルバイトという扱いだったのは確かです(このあたりの制度の違いについては、また別の記事で詳しくお話しします)。
ホテルの厨房で、実際にしていたこと
ここからは、実際にホテルの厨房でどんな作業をしていたのか、できるだけ具体的にお話しします。想像していた役割と、実際に任された役割には、多少の違いがありました。まずは担当していた作業の内容から振り返ります。
洗い物はせず、盛り付けや細かい仕込みが中心の仕事
洗い物は、実は一度もしていません。専用の担当の方がいて、私は使い終わった食器をその人のところへ運ぶ係でした。
任されていたのは、盛り付けだけではありません。
大皿料理の盛り付けの補助や、果物の皮を剥くこと、卵をたくさん割って混ぜること、豆をきれいに飾り付けることといった、細かい作業の方がむしろ中心でした。
盛り付けそのものも担当していて、最初はきれいに盛り付けるのに時間がかかっていましたが、少しずつ慣れていきました。
勤務時間は4〜5時間ほど、月に20〜22日出勤していたので、条件としては通っていたA型作業所とそれほど変わりません。
ただ、休みが土日と決まっておらず、平日休みのときも休日休みのときもある、不規則な形でした。
立ち仕事の一日、少しずつ増えていった「手伝って」の声
朝、厨房に着くと、和食用のユニフォームに着替えます。着替えたら厨房に入って挨拶をし、その日にすることを伝えてもらってから、早速作業に取りかかります。
自分の作業スペースというものは、特に決まっていませんでした。空いている場所を見つけて、そこでコツコツと作業を進める形です。
作業の途中で「これ、手伝って」と声をかけられれば、すぐにそちらへ向かいます。
最初のうちは、あまり声をかけてもらえませんでした。
それが、仕事ぶりが少しずつ認められてくるにつれて、「手伝って」と言われる回数が増えていきました。それが、とても嬉しかったのを覚えています。
大変だったのは、体力よりもスピードと空気でした
大変だったことを一言でまとめるのは難しいので、体力面・スピード面・人間関係面の3つに分けて、それぞれ具体的に振り返っていきます。一番きつかったのは、実は体力ではありませんでした。むしろ、誰にも見えない部分にありました。
体力面はすぐに慣れた
まず体力面です。基本的にずっと立ち仕事だったので、最初のうちは足が痛くなりました。
工業用ミシンの補助作業でも体力を使っていましたが、厨房の立ち仕事は、それとはまた違う種類の疲れ方でした。
ただ、だんだん慣れていって、そこまで体力を使わなくなっていったのは良かったところです。
立ち仕事とはいえ、ずっと同じ場所に立っているわけではなく、まあまあ歩き回っていたので、それも救いだったと思います。
誰も何も言っていないのに、感じていたプレッシャー
次にスピード面です。これが一番苦戦しました。プロの料理人の方たちは、当然ながら早くて正確です。
最初のうちは、盛り付けに限らず、どの作業も周りのペースについていくだけで精一杯でした。
私が任されていたのは基本的に一人で完結する作業だったので、周りに完全に合わせる必要は、本来なかったはずです。
とはいえ、「周りについていくべきだ」というプレッシャーを、自分で勝手にかけていました。
一番きつかった記憶として、盛り付けのスピードが遅く、次に盛り付ける人たちを待たせて渋滞を作ってしまったことがあります。
早くしなければと焦りましたが、焦って失敗する方がもっとまずいと思い、あえて急いでやりませんでした。
そのとき、周りから「もう少し早くできないか」というオーラのようなものを感じて、正直、きつかったです。
ただ、これは後から振り返って気づいたことですが、実際にそのとき、誰かに何かを言われたわけではありません。
視線や空気を、そう感じ取っていただけでした。自分が勝手にそう思い込んでいただけなのかもしれません。
やがて少しずつスピードが上がっていくにつれて、そのプレッシャーを感じることは減っていきました。
職人気質の厨房で飛び交う、強い言葉
最後に人間関係面です。私自身がいじめられたり、無視されたりしたことは一度もありません。
むしろ、みんな優しく声をかけてくれて、孤立を感じることはありませんでした。
ただ、ホテルの厨房は基本的に男性が多く、先輩が後輩のミスや作業の遅さを怒鳴るような、強い言葉が飛び交う場面もありました。
もちろん、いつもというわけではありません。
多くの人は仲が良く、仲がいいからこそ厳しく当たる、というような雰囲気もあったように思います。
職人気質な人が多かったことも、厳しい言葉が出やすい一因だったのでしょう。
これは私に向けられたものではありませんでしたが、それでも少し心理的にきつく感じたことは覚えています。
辞めようと思ったのは、限界ではなく、じわじわとした消耗でした
辞めようと思ったのは、何か一つの出来事がきっかけだったわけではありません。じわじわと、いろいろなことが積み重なっていった結果でした。
厨房での毎日自体は、決して悪い環境ではなかったと思います。
それでも、慣れない場所で気を張り続けたことや、先輩たちの強い言葉が飛び交う空気の中にい続けたことで、少しずつ心理的な疲労がたまっていったのだと思います。
働き始めて3、4ヶ月ほど経った頃、正確な時期ははっきり覚えていないのですが、少し鬱っぽくなった時期がありました。
今振り返ると、あの頃はやはり心理的にきていたのだと思います。
そのタイミングと重なるようにして、Webライターという働き方をネット上で知り、興味を持つようになっていきました。
何とかしようという気持ちと、新しいことへの興味が、いつの間にか絡み合っていたのだと思います。
限界まで追い詰められていたわけではありません。続けようと思えば、続けられたと思います。ただ、心のどこかが、少しずつ別の方向を向き始めていました。
辞めると決めたときのことは、正直、あまり細かくは覚えていません。ただ、料理長には「来月で辞めさせてください」と伝えたことは覚えています。
多少引き止められましたが、最終的には納得して、送り出してもらいました。
罪悪感や「逃げた」という感覚が、あったかと聞かれると、正直、よく分かりません。
あったような気もするし、なかったような気もします。当時は、逃げるというよりも、新しいことに向かっていくという気持ちの方が強かったように思います。
作業所に戻って、今につながっていること
作業所に戻ったとき、情けないという気持ちは、あまりありませんでした。
知っている場所で、知っているメンバーとまた働けることに、むしろほっとした記憶があります。
「ここでまた頑張りながらやっていけばいいか。ついでに、ライターの方も頑張ってみよう」というくらいの、軽い気持ちだったと思います。
そう思えたのは、ミシンの作業がある程度できるようになっていて、実力がついていたからだと思います。ネガティブな気持ちをあまり引きずらずに済んだのは、そのおかげだったのでしょう。
その後、正直に言うと、Webライターの方はうまくいかず、挫折してしまいました。簡単に割り切れたわけではありませんが、それでも今は、それとして受け止めています。
今はA型作業所で、ホテル厨房にいた頃と同じくらい稼げていますし、経験を積んだ今では、チームのリーダー的なポジションを任されるようになりました。
あのとき無理に一般就労を続けていたら、今の形にはたどり着けなかったかもしれません。
今振り返って、あの8ヶ月間は「情けない経験」じゃなかった
今振り返ると、あの8ヶ月間は、悪い経験ではなかったと思っています。A型作業所以外の場所を知ることができたのは、純粋に良かったことです。
情けない経験だったとか、強い罪悪感が残っているとか、そういう感覚は、今もほとんどありません。
むしろ、「自分もやれば、意外とこのくらいはできるんだな」という、ちょっとした自信になった経験でした。
これから一般就労に挑戦しようとしている方も、すでに挑戦して立ち止まっている方も、難しいと感じることに、理由を無理につける必要はないと思います。
乗り越えられる大変さもあれば、そうでない大変さもあります。どちらであっても、その先に何を選ぶかは、そのときの自分が決めればいいことだと、今は思っています。
私自身の場合、8ヶ月挑戦したあと、もう一度A型作業所に戻るという選択をしました。
その経緯については、また別の記事で詳しくお話ししたいと思います。
