人間関係が怖い。
そう感じながら、今日も誰とも関わらずに過ごしていますか。
「怖いのは自分だけなんじゃないか」「こんなに怖がっているのはおかしいんじゃないか」。そんな声が頭の中でぐるぐるしていませんか。
私も、そうでした。不登校とひきこもりを合わせて約10年。人と関わることが怖くて、ずっと自分を責め続けていた時期がありました。
でも今は、A型作業所に10年以上勤め続けています。完全に怖さが消えたわけではありません。それでも、確かに変わりました。
この記事では、人間関係の怖さの正体と、私自身の経験を正直に書きます。
「頑張れ」とは言いません。ただ、あなたの怖さには理由があること、それだけは最初に伝えさせてください。
その怖さ、私も知っている
この章では、人間関係の怖さがどんな感覚なのかを具体的に書いていきます。「自分だけがこんなに怖がっているのではないか」という孤独感を、まず受け止めたいと思います。
外には出られる。でも、「人」が怖かった
結論から言うと、私が怖かったのは「外」ではありませんでした。怖かったのは、そこにいる「人間」だったのです。
ひきこもっていた頃、人がいない時間帯や場所であれば、外に出ることはできました。
誰もいない早朝に近所を歩いたり、人通りの少ない場所であれば動けたりしました。ところが、誰かがいるとわかった瞬間、体がざわつく感じがしました。
誰かとすれ違うかもしれない。声をかけられるかもしれない。それだけで、頭の中がいっぱいになりました。
「ひきこもり=外に出られない」というイメージを持っている人もいるかもしれません。しかし実際には、人さえいなければ動ける、というケースも少なくないと思っています。
怖さにはグラデーションがあります。あなたが感じている怖さも、どこかでこれと重なっているのではないでしょうか。
「怖い自分」を、さらに責め続けていた
人間関係を怖いと感じることに加えて、その怖さを感じている自分をさらに責めていました。これが、怖さよりもしんどかったかもしれません。
頭の中では、こんな声がずっと鳴り続けていました。
- 「こんなに怖がっている自分はおかしい」
- 「いい大人が情けない」
- 「弱すぎる」
怖さそのものと、怖がっている自分への自己否定が、同時に重なっていたのです。
しかし今ははっきり思います。あの怖さは、弱さではありませんでした。
おかしくも、情けなくもなかった。怖くなるだけの、ちゃんとした理由があったのです。次の見出しは、その理由を書いていきます。
なぜひきこもりになると人間関係が怖くなるのか
「怖い」という感覚には、必ず理由があります。この章では、人間関係の怖さがどこから来るのか、心理学の知見と私自身の経験を交えながら説明していきます。
怖さは「生まれつき」じゃない、「学習」されたものだった
人間関係が怖いのは、生まれつきの性格や意志の弱さが原因ではありません。怖さは、経験の積み重ねによって「学習」されたものです。
アメリカの心理学者マーティン・セリグマンは、「学習性無力感」という概念を提唱しました。これは、傷つく経験やうまくいかない経験が繰り返されると、脳が「どうせまた同じことが起きる」と学習してしまう現象です。
人間関係でも、同じことが起きます。
傷つく経験が繰り返される
↓
脳が「どうせまた傷つく」と学習する
↓
「人と関わる=危険」という回路ができあがる
私自身も、不登校の頃から人間関係でうまくいかない経験を繰り返してきました。
失敗するたびに少しずつ、「どうせうまくいかない」という感覚が積み上がっていったように思います。怖くなったのは、弱かったからではありません。
そういう経験をしてきたから、脳がそう学習したのです。
脳の「警報装置」が敏感になりすぎている
人間関係の怖さには、脳のメカニズムも深く関わっています。脳には「扁桃体」と呼ばれる部位があり、危険を察知すると警報を鳴らす働きをしています。いわば、脳の「警報装置」です。
過去に人間関係で繰り返し傷ついた経験があると、この警報装置が過剰に反応するようになります。実際には危険でない場面でも「危ない」というシグナルが出続けてしまいます。
人と関わろうとした瞬間に体がざわつくのは、この警報装置が鳴り続けているからだと考えられています。
大切なのは、これが性格の問題でも意志の問題でもないという点です。脳が過去の経験から「人間関係は危険だ」と学習した結果として起きていることです。
怖いと感じるのは、あなたが弱いからではありません。あなたの脳が、過去の経験に対して正直に反応しているだけなのです。
避けるほど、怖さはどんどん育っていく
怖いから避ける。避けるから慣れない。慣れないから、ますます怖くなる。この悪循環が、怖さを育て続けます。
心理学的に見ると、これは「回避行動の強化」と呼ばれるメカニズムです。避けることで一時的に不安が和らぐため、脳はその選択を「正解」として学習します。
結果として、避けるという行動がどんどん強化されていきます。ひきこもりの時間が長くなるほど、この構造は深まっていきます。
ただ、このことは同時に1つの事実も示しています。怖さが育っていったのは、意志が弱かったからではありません。
脳が自然な仕組みに従って動いた結果です。それだけのことです。
怖さの仕組みがわかれば、自分を責める必要がなくなります。次の見出しでは、その点をより直接的に書きます。
「怖い」は甘えでも弱さでもない
「怖い」という感覚を、甘えや弱さだと思っている人は少なくないと思います。しかしそれは違います。この章では、人間関係の怖さが甘えでも弱さでもない理由を、私自身の経験を交えながら書いていきます。
ひきこもりは「逃げ」じゃなく、心の防衛反応だった
結論から言うと、ひきこもりは心が壊れないための防衛反応だったと、私は今考えています。
当時の自分を振り返ると、「逃げた」という気持ちが全くないかといえば、そうではありません。
一方で、「仕方なかった」という気持ちも同じくらいあります。今になって思うのは、気づいたらハマっていた、という感覚が一番近いということです。「
「ひきこもろう」と意識して選んだわけではなく、どうにもならなくなっていった、というのが正直なところです。
心理学的にも、ひきこもりは「これ以上傷つかないために避難する」という防衛本能の働きだと説明されています。
限界まで追い詰められた心が、自分を守るために選んだ行動です。弱いから逃げたのではなく、それだけ追い詰められていたのです。
あの環境では、あれが精一杯の選択だったと、今は思っています。
「怖い」と感じること自体は、正直な心の声だった
当時の私には、常に二つの気持ちが同時にありました。「なんとかしないといけない」という焦りと、「どうにもならない」という無力感です。
外から見れば「やる気がない」に映っていたかもしれません。しかし内側では、ずっと葛藤が続いていました。
「怖い」と感じることは、弱さではありません。むしろ、自分の感覚に正直でいられているということです。怖いと感じられているということは、心がまだちゃんと機能している証拠でもあります。
怖いと感じる自分を、責めなくていいと思います。その怖さは、あなたがこれまで経験してきたことへの、正直な心の反応です。
おかしくも情けなくもない。ただ、それだけのことを経験してきた。それだけのことなのです。
私が感じていた「怖さ」の正体
「怖い」という言葉は同じでも、その中身は人によって違います。この章では、私自身が感じていた怖さの具体的な中身を、できるだけ正直に書いていきます。
「怖い」の中身は、1つじゃなかった
人間関係の怖さを一言で表すのは、実は難しいことです。私自身、当時の怖さを言語化するのにずいぶん時間がかかりました。振り返ってみると、怖さの中身は1つではなく、三つの層が重なっていたように思います。
①どう思われるかわからない怖さ(評価への恐怖)
「いい大人が仕事もせずにひきこもっている。そんな自分を見て、人はどう思うのだろう」という感覚が、常にありました。これは単純な失敗への恐怖というより、自分という存在そのものを否定されることへの恐怖に近かったと思います。
②また失敗するかもしれないという怖さ(予期不安)
過去にうまくいかなかった経験が積み重なっているので、関わる前からすでに「どうせうまくいかない」という感覚がありました。関わる前から、すでに負けている感じです。
③うまくできない自分を見せてしまう怖さ(恥の感覚)
失敗そのものより、失敗した自分を誰かに見られることへの恥が重なっていました。この三つが絡み合って、「人間関係が怖い」という一言になっていたのだと思います。
興味深いのは、誰とも関わらない時間が続くと、この怖さが少し薄れていく感覚があったことです。関わらなければ怖くならないからです。
しかし、誰かと関わろうとした瞬間、怖さが一気に戻ってきました。怖さは常にそこにありました。ただ、人と関わる場面になって初めて、表に出てきていたのです。
作業所に初めて行った日のこと
怖さを抱えながらも動いた経験として、作業所に初めて行った日のことは今でも覚えています。
行く前は、頭の中がぐるぐると回り続けていました。「どんな人たちがいるんだろう」「話しかけられたらどう返せばいいんだろう」「変に思われたらどうしよう」。不安の種は尽きませんでした。
それでも、覚悟を決めて「えいやっ」と行ったのです。怖さが消えたから行けたのではありません。怖いまま、動いたのです。
実際に行ってみると、一番大変だったのは最初のその瞬間でした。緊張はピークでしたが、時間が経つにつれて少しずつ落ち着いてきました。
怖さは「最初がピーク」だったのです。この経験は、後になって大きな意味を持つことになりました。
ホテルの厨房に挑戦したときの話
作業所に数年通ったあと、作業所の紹介でホテルの厨房に調理補助として挑戦したことがあります。これも、非常に勇気がいりました。
作業所での経験を経て、人と関わることへの怖さはある程度和らいでいました。しかしホテルの厨房は、まったく違う環境でした。
作業所でできた人間関係はリセットされ、まっさらの状態から新しい人間関係に入っていきます。しかも作業所とは違い、仕事がメインの場です。緊張感も種類も、作業所のときとは異なりました。
それでも、やはり最初を乗り越えたら徐々に緊張感が落ち着いてきました。完璧にこなせたわけではありませんでしたが、続けることはできました。
「怖くても、動いた先に少しずつ変化がある」ということを、このとき体で学んだように思います。
同じように怖かった私が、今どうなっているか
「同じような怖さを抱えていた人が、今どうなっているのか。」この章では、その問いに正直に答えます。きれいな成功談ではありませんが、それが等身大の現実です。
「完全に治った」とは言えない
最初に正直に言います。人間関係の怖さは、完全には無くなっていません。
今でも初対面の人と話すときは緊張しますし、新しい環境に入るときには構えるような感覚が残っています。
おそらく、この感覚が完全に無くなることはないかもしれない、と自分では思っています。「人間関係の怖さを克服しました」という話は、私には書けません。それは事実ではないからです。
ただ、ここで伝えたいのは、完全に治らなくてもいい、ということです。怖さがゼロになることだけがゴールではありません。
怖さと共存しながら、それでも動ける状態になることが、もう一つのゴールだと私は考えています。
それでも、確かに変わったこと
完全には治っていない。しかし、確かに変わったことがあります。
一番大きいのは、A型作業所に10年以上継続して勤められていることです。ひきこもっていた頃の自分からすると、正直、自分でも驚いています。人間関係が怖くてひきこもっていた人間が、10年以上同じ場所に通い続けているのです。
変わったのは、怖さがなくなったからではありません。「怖さゼロ」を目指すのをやめたことが、むしろ大きかったように思います。
怖さは完全には消えない。でも、怖さがあっても動ける。その感覚が少しずつ積み重なってきた結果が、今の自分だと思っています。
ひきこもっていた頃と比べると、他者に対する怖さはだいぶ和らぎました。あの頃とは、確実に違います。
「この怖さはずっと続くのか」に、正直に答える
「この怖さは一生続くのだろうか」という問いは、人間関係が怖いと感じている人なら、一度は頭をよぎったことがあるはずです。この章では、その問いに対して、無責任な希望を言わずに正直に答えていきます。
「必ず良くなる」とは言えない。でも「一生このまま」とも言えない
結論から言うと、「必ず良くなります」とは言えません。しかし同時に、「一生このままです」とも言えません。
無責任な希望を伝えることは簡単です。しかし、それはかえって読んでいる人を傷つけることがあります。
「良くなると言われたのに変わらない、やっぱり自分はダメだ」という罪悪感を生むからです。だから私は、きれいごとは言いたくありません。
ただ、心理学的には怖さが変わりうる根拠があります。先ほど紹介したセリグマンの学習性無力感の理論には、重要な続きがあります。
怖さは「学習されたもの」だからこそ、別の経験を積むことで書き換えられる可能性があるのです。脳には可塑性があります。
一度学習したことが、新しい経験によって上書きされることは、脳科学的にも示されています。「学習されたものは、再学習できる」ということです。
怖さが変わるとしたら、それはどんなときか
では、どういうときに怖さは変わりうるのでしょうか。私の経験と心理学の両方から言うと、「大きな努力をしたとき」ではありませんでした。
「人と関わっても大丈夫だった」という小さな経験が積み重なったときです。成功体験である必要はありません。
うまくいかなくても、その場にいられた。怖かったけど、少しだけ関われた。そのくらいの小さな「大丈夫だった」が、脳の学習を少しずつ書き換えていきます。
すぐには変わりません。しかし、確かに変わっていく可能性があります。では具体的に、何から始めればいいのか。次の見出しで書きます。
今日、怖いままでもできる小さなこと
「わかった、でも結局どうすればいいんだ」という気持ちになっている人もいると思います。この章では、私自身が実際にやってきた小さなことを書きます。大きな一歩は必要ありません。今日、怖いままでもできることがあります。
「怖さを消してから動く」をやめた
最初に、私が手放したことを書きます。それは「怖さが消えてから動こう」という考え方です。
以前の私は、怖さがなくなったら動こうと思っていました。しかし怖さは、待っていても消えませんでした。むしろ、待てば待つほど怖さは育っていきました。これは先ほど書いた回避の悪循環そのものです。
転機になったのは、「怖さが消えてから動く」のではなく、「怖いまま動く」という発想に切り替えたことでした。
作業所に初めて行った日も、ホテルの厨房に挑戦した日も、怖さは消えていませんでした。それでも、腹を決めて一歩踏み出した。
怖さがあっても動けるということを、体で学んでいったのです。怖さを消そうとするのをやめた瞬間から、少しずつ動けるようになっていきました。
「人間関係」ではなく「一人の人」から始める
「人間関係が怖い」という問題に、正面から向き合おうとする必要はありません。そもそも「人間関係全般」という大きな問題に一度に向き合うのは、誰にとっても重すぎます。
私の場合、最初の一歩は「親のカウンセリングについていく」というものでした。相手は知らない人でしたが、たった一人のカウンセラーと、短い時間だけ同じ空間にいるという経験でした。それだけのことです。
しかしその小さな経験が、後に作業所につながっていきました。
「人間関係」という大きな問題ではなく、「この一人の人と、今日少しだけ関わる」という小さな単位で考えることをおすすめします。たとえば、こんなことから始められます。
- 家族と短い会話をする
- 支援者と週一回だけ話す
- カウンセリングに一度だけ行ってみる
一人の人と安心して関われる場所が、最初の起点になります。
怖くても動けた自分を、小さく認める
最後に、これが一番大切なことかもしれません。怖くても動けた自分を、小さく認めることです。
うまくできたかどうかは、最初は関係ありません。緊張してうまく話せなかったとしても、その場にいられたなら十分です。
怖かったけど動いた、その事実だけを先に見てください。
これには心理学的な根拠もあります。「人と関わっても大丈夫だった」という小さな経験が積み重なることで、脳が少しずつ「人間関係=危険」という学習を書き換えていきます。完璧にこなす必要はありません。
怖かったけど動けた自分を、小さく認め続けること。その積み重ねが、脳の再学習につながっていきます。大きな変化は、小さな「大丈夫だった」の先にあります。
まとめ
人間関係の怖さは、きれいに消えるものではないかもしれません。私自身、今もそれを感じることがあります。
ただ、一つだけ言えることがあります。怖さを抱えながらも、それでも少しずつ動いてきた時間は、無駄ではありませんでした。
完璧にできなくても、うまく話せなくても、その場にいられた事実は残ります。その積み重ねが、気づかないうちに何かを変えていきます。
「ちょっとはマシになれればいい」。私はずっとそのくらいの気持ちでやってきました。大きく変わらなくていい。完全に治らなくていい。今日、怖いままでも一つだけ動けたなら、それで十分だと思っています。
あなたが今感じている怖さは、あなたが弱いからではありません。それだけのことを、経験してきたからです。
