なんとなく苦手な人がいるのはなぜ?罪悪感を手放すための考え方

悪い人じゃない。むしろ自分には優しくしてくれる。なのに、なぜかその人が苦手だ。

一緒にいると妙に疲れる。近くに来ると、なんとなく身構えてしまう。でも「嫌い」というほどでもない。理由を聞かれても、うまく答えられない。

「なんとなく」としか言いようがないから、誰にも話せない。話したところで「でもいい人じゃん」で終わる気がして、結局一人で抱えている。

そして気づけば、こんなことで気にしている自分がおかしいのかと、自分を責め始めている。

私にも、そういう人がいました。ホテルで働いていたときのことです。その人のことが嫌いというわけではなかった。でも、なんとなく苦手だった。当時はその理由がよくわかりませんでした。

この記事では、「なんとなく苦手」という感情の正体を一緒に考えてみたいと思います。解決策を押しつけるつもりはありません。

ただ、この感情に少しだけ名前がつけば、今より楽になれるかもしれない。そう思って書きました。

目次

「なんとなく苦手」はどんな場面で起きやすいか

「なんとなく苦手」という感情は、誰にでも起きうる感覚です。ただ、特にこの感情が生まれやすい場面というのがあります。「自分はどのパターンに近いだろう」と思いながら読んでみてください。もしかしたら、今まで言葉にできなかった感覚に、少し名前がつくかもしれません。

悪い人じゃないのに、なぜか疲れる相手

一番多いのが、このパターンだと思います。

相手は特に悪いことをしているわけではありません。むしろ気さくに話しかけてくれます。周りからも「いい人だよね」と言われています。

なのに、一緒にいるとなんとなく疲れます。雑談が終わったあと、ため息が出てしまいます。

「嫌い」という言葉は違う気がする。でも「好き」でもない。「なんとなく苦手」という言葉が一番近い感じがします。

このタイプが一番厄介なのは、理由を説明できないから誰にも話せないという点です。明確な理由があれば「あの人にこんなことをされた」と言えます。

でも「なんとなく」では、話しても「でもいい人じゃん」で終わってしまいます。結局一人で抱えることになります。

初対面から「なんか合わない」と感じる相手

会って数分で、なんとなく「この人とは合わないかも」と感じることがあります。

相手が何かをしたわけではありません。ただ、話し方、声のトーン、距離の詰め方——何か一つが特別に嫌というわけでもなく、全部ひっくるめて「なんとなく」合わない気がしてしまいます。

厄介なのは、この感覚が後から覆りにくいことです。最初の印象が強く残ってしまうと、その後どれだけ普通に接しても、どこかに引っかかりが残り続けます。

「やっぱり合わないな」という感覚が、じわじわ強くなっていくこともあります。

何を考えているのかわからない相手

表情が読みにくい人、リアクションが薄い人、会話のテンポが合わない人。こういう相手に「なんとなく苦手」を感じる人も少なくありません。

私自身、作業所で働く中で「何を考えているのかわからない人」が苦手でした。別にその人が何かをしてきたわけではありません。

ただ、次にどんな反応が来るかが読めないことが、なんとなく落ち着かない感覚につながっていました。

人は相手の感情や反応がある程度予測できると安心します。逆に予測できないと、無意識に緊張してしまいます。

「何を考えているかわからない」という苦手意識は、その緊張感から来ているのかもしれません。

その感情を持つ自分を、まず責めなくていい理由

「なんとなく苦手」という感情を持つとき、多くの人はまず自分を責めてしまいます。「理由もないのに苦手と思うなんて、自分は心が狭いのかもしれない」と感じてしまいます。でも、この記事で最初に伝えたいことがあります。その感情を持つ自分を、責めなくていいということです。なぜそう言えるのか、順番に説明していきます。

「理由なく苦手」と感じることは、人間として普通の反応

「なんとなく苦手」という感情は、心が狭い人だけが持つ特別な感情ではありません。

心理学では、人が誰かに対して感じる苦手意識は、「防衛機制」と呼ばれる無意識のメカニズムから生まれることが多いとされています。

防衛機制とは、自分の心を守るために無意識に働く心の仕組みのことです。つまり、「なんとなく苦手」という感情は、本人の意思や性格の問題ではなく、無意識に自動的に起きているということです。

自分で意図してその感情を作り出しているわけではありません。だから「こんな感情を持つ自分はおかしい」と責める必要は、そもそもないのです。

むしろ真面目で誠実な人ほど、この罪悪感を抱えやすい

「なんとなく苦手」という感情に罪悪感を覚えるのは、むしろ真面目で誠実な人に多い傾向があります。

「人を理由もなく苦手と思ってはいけない」「相手はいい人なんだから、ちゃんと向き合わなければ」という気持ちが強いからこそ、その感情を持つ自分を責めてしまいます。いい加減な人は、そもそもこんなことで悩みません。

言い換えると、この感情で悩んでいること自体が、あなたが誠実である証拠とも言えます。

責めるべき自分がいるのではなく、ただ正直な感情があるだけです。

私自身も作業所で同じ感覚を持ち続けた話

私はA型作業所で10年以上働いてきました。その中で、「なんとなく苦手だな」と感じる人が何人かいました。

特に不機嫌になりやすい人が苦手でした。その人が何か私にしてきたわけではありません。

ただ、朝に職場に着くと、今日はあの人の機嫌がどうかを自然と確認してしまっていました。

表情を見て、今日は大丈夫そうだと判断してから、ようやく少し肩の力が抜ける。そんなことを毎日繰り返していました。

今もそれは続いています。完全に解決したわけではありません。

「こんなことで気にしている自分はおかしいのかな」と思ったこともありました。

でも今は、これは自分の正直な反応であって、おかしいことでも恥ずかしいことでもないと思っています。

少なくとも、自分を責めることはやめました。それだけで、だいぶ楽になりました。

「なんとなく苦手」の正体——心理学的に考えられる3つの理由

「なんとなく苦手」という感情には、理由がないわけではありません。ただ、その理由が無意識の領域にあるため、自分では気づきにくいのです。心理学的に考えると、いくつかのメカニズムが浮かび上がってきます。ここでは、特に「なんとなく苦手」という感情と関係が深いと思われる3つの理由を取り上げます。どれか一つに当てはまる場合もあれば、複数が重なっている場合もあります。

過去に出会った誰かの記憶が、無意識に反応している

人は過去の経験から学習する生き物です。過去に特定の人から傷ついた経験や、嫌な思いをした経験があると、その記憶が無意識に残ります。

そして似たような雰囲気や話し方、距離の詰め方をする人に出会ったとき、無意識がその記憶と照合して「この人は危ないかもしれない」と反応することがあります。

本人にとっては「なんとなく苦手」という感覚にしか感じられないのですが、実は無意識の中で過去の記憶が作動しています。

私自身にも、これに近い経験があります。不機嫌になりやすい人が苦手という話を先ほどしましたが、今思い返すと、小さい頃から人の顔色をうかがう性質が自分の中に染み付いていたのだと思います。それがいつから始まったのか、正確にはわかりません。

ただ、おそらく不登校やひきこもりの経験とも無関係ではないと感じています。人目や世間の目を気にするあまり、長い時間をかけて押しつぶされてきた部分があったのです。

その積み重ねが、今も職場で誰かの顔色を読もうとする反射につながっているのかもしれません。

自分の中にある「見たくない部分」をその人に重ねている

心理学に「投影」という概念があります。簡単に言うと、自分の中にある認めたくない感情や特性を、無意識に他の人に映し出してしまう心の働きのことです。フロイトが提唱した防衛機制の一つで、自分を守るために無意識に作動します。

たとえば、自分が怒りを抑圧している人は、怒りっぽい人を必要以上に苦手と感じることがあります。

自分が「こうあってはいけない」と抑えている部分を持っている人が目の前に現れると、無意識がそれに反応してしまうのです。

私にも、正直に言えばこれに近い経験があります。ホテルで働いていたとき、後輩に対してときどき強く当たる先輩がいました。自分には優しくしてくれる人でしたが、なんとなく苦手でした。

当時はその理由がよくわかりませんでした。

ただ今思い返すと、自分よりも立場が弱い人に対して強く出るというその場面が、自分の中の何かに触れていたのかもしれないと、ぼんやり感じています。

自分も同じことをしているかもしれないという、ドキッとする感覚があったのだと思います。断言はできませんが。

相手の距離の詰め方が、自分のペースとズレている

心理学者のロバート・ソマーが提唱した「パーソナルスペース」という概念があります。人は誰でも、自分の周囲に目に見えない境界線を持っていて、その中に他者が入ってくると不快感を覚えます。

そしてこのパーソナルスペースの広さは、人によって大きく異なります。

距離の詰め方が早すぎる人、やたらとプライベートに踏み込んでくる人、会話のテンポが合わない人。

こういった相手に「なんとなく苦手」を感じるのは、パーソナルスペースへの侵入に対する自然な反応とも言えます。

作業所で「何を考えているかわからない人が苦手」と感じていた話を先ほどしました。これもある意味では距離感の問題だったのかもしれません。

相手の反応が読めない、次に何が来るかわからないという状態は、無意識に緊張を生みます。

距離感というのは、物理的な近さだけではなく、感情的な予測可能性とも関係しているのかもしれません。

特に厄介な「いい人なのに苦手」というパターン

「なんとなく苦手」の中でも、特に厄介なのが「いい人なのに苦手」というパターンです。悪意のある人や明らかに嫌なことをしてくる人が苦手なら、理由ははっきりしています。でも相手がいい人であればあるほど、苦手という感情の置き場所がなくなります。そしてその感情は、行き場をなくして自分の内側に向かっていきます。

「いい人なのに」だからこそ誰にも言えない孤独さ

「あの人のことが苦手で」と誰かに話したとき、相手から「でもあの人っていい人じゃない?」と返ってきた経験はないでしょうか。

この返答は悪意があるわけではありません。でもこれを言われると、苦手と感じている自分がおかしいような気持ちになります。

「そうですね、いい人ですよね」と話を終わらせるしかなくなります。結果として、この感情は誰にも話せないまま、一人で抱えることになります。

「嫌いな人がいる」なら話せます。「苦手な人がいる」も話せます。でも「いい人なんだけど、なんとなく苦手」は話しにくい。その微妙さが、この感情を余計に孤独にさせます。

「自分がおかしい」という自己嫌悪がどんどん積み重なる構造

「いい人なのに苦手」という状態が続くと、やがて感情の矛先が自分に向かっていきます。

「相手はいい人なのに、苦手と感じている自分に問題があるのではないか」「自分が心が狭いから、こんな感情が出てくるのではないか」。こういった自己嫌悪が少しずつ積み重なっていきます。

厄介なのは、この自己嫌悪が解消されないまま放置されると、苦手意識がさらに強くなっていくことです。相手を見るたびに「またこんなことを思ってしまった」と自分を責めます。

責めるたびにその感情が強化されます。その繰り返しの中で、最初は「なんとなく苦手」だったものが、気づけばその人のことを考えるだけで気が重くなっている、ということが起きてきます。

ホテル厨房で経験した「いい人なのに苦手」な先輩の話

少し前の話になりますが、私はA型作業所の紹介で、ホテルの厨房で約8ヶ月間、調理補助として働いたことがあります。そこで出会った先輩のことを、今でもときどき思い出します。

その人は、私に対してはとても優しく接してくれました。困ったことがあれば気にかけてくれましたし、会話もできていました。

でも、後輩に対してときどき強く当たることがありました。怒鳴るとか、そういう激しいものではありません。ただ、言葉のトーンが急に変わる、という感じでした。

その場面を近くで見るたびに、なぜか自分の中でドキッとするものがありました。自分が怒られているわけでもないのに、です。いい気分にはなれませんでした。

でもその人が自分には優しいから、余計に混乱していました。「嫌いというわけじゃない。でも、なんとなく苦手だ」という感情が、ずっとそこにありました。

当然、誰にも話しませんでした。話したところで「でもいい人じゃないですか」で終わる気がしていたからです。一人で抱えたまま、8ヶ月が過ぎていきました。

今思い返すと、その先輩の言動が、自分の中の何かに触れていたのだと思います。自分よりも立場が弱い人に対して強く出るという場面が、自分の内側にある何かを刺激していたのかもしれません。

ひょっとしたら、自分自身もそういう部分を持っているのではないかという、どこかドキッとするような感覚があったのだと、今はぼんやり感じています。ただ、これは断言できるものではありません。そういう可能性もあるかな、という程度です。

当時はそんな分析などできませんでした。ただ「なんとなく苦手」という感覚だけが、静かにそこにありました。

苦手意識を「消そう」とすると、逆に強くなる話

「なんとなく苦手」という感情を持ったとき、多くの人は次にこう考えます。「この気持ちをなんとかしなければ」と。苦手意識を消そうとしたり、「こんな感情を持ってはいけない」と自分に言い聞かせたりします。でも実は、その努力が逆効果になることがあります。なぜそうなるのか、少し考えてみたいと思います。

「苦手と思ってはいけない」と思うほど苦手になるメカニズム

心理学の研究に、こんな実験があります。

被験者に「シロクマのことを考えないでください」と指示したところ、ほとんどの人がシロクマのことを考え続けてしまったというものです。

「考えてはいけない」と意識すればするほど、その対象が頭から離れなくなる。これは「思考抑制のリバウンド効果」と呼ばれる現象で、心理学の研究で確認されています。

「苦手と思ってはいけない」という禁止も、同じことが起きます。その人のことを「苦手と思ってはいけない」と意識すればするほど、その人のことが頭から離れなくなります。そして会うたびに「またこんなことを思ってしまった」と自分を責めます。

責めるたびにその感情に意識が向きます。気づけば、最初よりずっと苦手意識が強くなっていた、ということが起きてきます。

感情に「禁止」をかけるとどうなるか

「苦手と思ってはいけない」という禁止は、感情そのものを抑え込もうとする行為です。

心理学では、感情を無理に抑圧すると、その感情はなくなるのではなく、形を変えて出てくることが多いとされています。

表面上は「普通に接している」つもりでも、体が緊張していたり、その人の存在が妙に気になったり、関係ない場面で苛立ちが出てきたりします。

また、「こんな感情を持ってはいけない」という禁止を自分にかけ続けると、感情を持つこと自体への罪悪感が育っていきます。

苦手意識だけでなく、「そう感じてしまう自分」まで否定することになります。これは消耗します。じわじわと、確実に消耗します。

私が「消そうとしなかった」理由

正直に言うと、私は苦手な人に対して「好きになろう」とか「苦手と思ってはいけない」と自分に言い聞かせたことが、ほとんどありません。

それが正しい対処法だったから、というわけではありません。どちらかというと、そうしても無駄だろうという諦めのような感覚が、最初からあったのだと思います。

気持ちや反応は、自分の意志で簡単に変えられるものではないということを、なんとなく知っていたのかもしれません。

なぜそう思えていたのかは、自分でもよくわかりません。もしかしたら、不登校やひきこもりの時期に、無理をしても状況が変わらないという経験を繰り返してきたことと、関係しているのかもしれません。

自分の中の性格のコアのようなものが、そうさせていたのかもしれない。そのあたりは、今もよくわかっていません。

ただ一つ言えることがあります。「消そうとしなかった」からこそ、必要以上に消耗しなかったのだと思っています。

苦手意識と戦わなかったからこそ、その感情がそれ以上大きくならなかった。そういう面はあったのかもしれません。

解決しなくていい。「苦手なまま」でやっていく現実的な考え方

ここまで「なんとなく苦手」という感情の正体を見てきました。ではその感情を持ったまま、どうやって生きていけばいいのでしょうか。この記事では「苦手な人を好きになる方法」は書きません。そもそも、そんな方法があるとは思っていないからです。代わりに、苦手なままでやっていくための、私なりの考え方を書いてみたいと思います。押しつけるつもりはありません。ただ、こういう考え方もあるということを、知っておいてもらえればと思います。

「好きになろう」をやめたら楽になった話

苦手な人を好きになろうとすると、ほぼ確実に消耗します。

感情は自分の意志で簡単に変えられるものではありません。「好きになろう」と思えば思うほど、好きになれない自分が浮き彫りになります。そしてそのたびに「やっぱり自分はダメだ」という気持ちが積み重なっていきます。

私自身、苦手な人を好きになろうとした経験はほとんどありません。最初からそれは無理だと、どこかでわかっていたのだと思います。

その代わりに、「好き嫌いではなく、普通に接することができればそれでいい」という基準で考えるようにしていました。

好きである必要はありません。嫌いでもない状態を保てていれば、それで十分だと思っています。この基準を持つだけで、人間関係のハードルが少し下がります。少なくとも私にとっては、そうでした。

苦手な人と「必要な範囲だけ関わる」で十分という考え方

職場や作業所など、逃げられない環境に苦手な人がいるとき、多くの人は「うまくやらなければ」と考えます。でも「うまくやる」の基準が高すぎると、それ自体がストレスになります。

私が意識するようにしたのは、「仲良くなろうとしない」ということです。仕事上の関係であれば、仕事が回ればそれでいいのです。

作業所であれば、普通に挨拶して、必要なことを話せればそれでいいと思っています。私はそう割り切るようにしていました。

ホテルで働いていたときも、苦手だった先輩とは普通に接していました。深く関わろうとしなかったからこそ、8ヶ月間、大きな問題なく過ごせたのだと思います。

「苦手なまま、でも普通に接する」は、思っているよりも可能なことです。完全に解決しなくても、やっていくことはできます。

距離を保ちながら関わる、私なりのやり方

私が苦手な人と関わるときに意識していることを、正直に書いてみます。

1つ目は、深入りしないことです。雑談はします。でも必要以上に踏み込まない。相手のプライベートに興味を持ちすぎない。自分のことも必要以上に話さない。この距離感を最初から保つようにしています。

2つ目は、相手の機嫌を「自分の問題」にしないことです。以前は不機嫌な人が近くにいると、自分まで気分が沈んでいました。今も完全にはできていませんが、「あの人の機嫌はあの人のもの、私の問題ではない」と心の中でつぶやくようにしています。完璧にはいきませんが、少しだけ楽になります。

3つ目は、苦手なままでいいと認めることです。好きになれなくていい。うまくやれなくていい。苦手なまま、でも普通に関わっていく。その選択肢を自分に許可するだけで、不思議と気持ちが軽くなります。

これが正解だとは思っていません。ただ私にとっては、これが今のところ一番無理のないやり方です。

「なんとなく苦手」という感情は、自分を知るためのヒントでもある

ここまで「なんとなく苦手」という感情の正体と、その感情との付き合い方を書いてきました。最後に一つだけ、付け加えたいことがあります。この感情は、厄介なものであると同時に、自分自身を知るためのヒントになることがあるということです。解決すべき問題としてではなく、自分の内側を見るきっかけとして捉えると、少し違う景色が見えてくることがあります。

苦手意識が教えてくれる「自分が大切にしていること」

誰かに「なんとなく苦手」を感じるとき、その感情は何かを教えてくれていることがあります。

たとえば、不機嫌になりやすい人が苦手な人は、場の空気や人の感情に対して敏感な人かもしれません。何を考えているかわからない人が苦手な人は、相手との関係に安心感や予測可能性を求めている人かもしれません。自分よりも立場が弱い人に強く当たる人が苦手な人は、公平さや誠実さを大切にしている人かもしれません。

「苦手」という感情は、不快なシグナルであると同時に、自分が何を大切にしているかを映し出す鏡でもあります。もちろん、深読みしすぎる必要はありません。

ただ、「なぜこの人が苦手なのだろう」とほんの少し立ち止まって考えてみることが、自分自身への理解につながることがあります。

私がひきこもり時代に気づいたこと

ひきこもっていた約10年間、私はほとんど人と関わりませんでした。

その時期、人間関係への恐怖や苦手意識は、どんどん強くなっていきました。人と関わらない時間が長くなるほど、人と関わることへの緊張が増していきました。

今思うと、人間関係の苦手さというのは、考えたり分析したりするだけでは改善されないのだと思います。実際に体験を重ねることでしか、少しずつ変わっていかないものなのだと感じています。

作業所で10年以上働いてきた中で、最初は苦手だった人との関わりも、時間をかけて少しずつ慣れていくことがありました。

完全に苦手意識がなくなったわけではありません。でも、最初よりは楽に接せられるようになったことはありました。

それは頭で考えたからではなく、ただそこにいて、関わり続けたからだと思っています。

「なんとなく苦手」という感情は、消えないかもしれません。でも、変わっていくことはあります。それだけは、経験から言えることです。

まとめ

「なんとなく苦手」という感情は、理由がないわけではありません。ただその理由が無意識の領域にあるため、自分では気づきにくいだけです。

過去の記憶が反応していることもあります。自分の中の見たくない部分を相手に重ねていることもあります。距離感のズレが引き起こしていることもあります。

そしてこの感情は、あなたがおかしいから生まれるものではありません。むしろ、人の気持ちに敏感で、誠実だからこそ生まれやすい感情です。

理由もなく苦手と感じてしまう自分を責め続けてきたなら、そろそろその荷物を少し降ろしてもいいと思います。

解決しなくていいです。好きになれなくていいです。苦手なまま、普通に関わっていく。それで十分だと、私は思っています。

この記事を書きながら、ホテルで働いていたときの先輩のことを思い出していました。あの感情の正体が、当時の自分にはわかりませんでした。でも今こうして言葉にしてみると、あのモヤモヤにも少しだけ名前がついた気がしています。

もしこの記事を読んで、あなたの中のモヤモヤにも少しだけ名前がついたなら、書いた意味があったと思います。完全に解決しなくていいです。少し楽になれたなら、それで十分です。

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