帰宅して、ソファに倒れ込む。
別に嫌いな人がいるわけじゃない。大きなトラブルがあったわけでもない。それなのになぜか、どっと疲れる。
「なんで自分はこんなに疲れるんだろう」
その問いが頭をよぎっても、うまく答えが出てこない。
誰かに話そうにも、何をどう説明すればいいのかもわからない。そのまま、なんとなくスマホを開いた。そういう人に向けて書いています。
私は10年以上ひきこもり、その後A型作業所やホテルの厨房でも、ずっと同じ消耗感を抱えてきました。「疲れる自分がおかしいのかも」と長い間思っていました。
でも、違いました。
この記事では、「人と関わると疲れる」の正体について、私が気づいたことを正直に書きます。解決策を押しつけるつもりはありません。
「これが正解です」とも言いません。ただ、同じような感覚を抱えてきた人間として、少しでも「そうそう、これが言いたかった」と思ってもらえたら、それで十分です。
その「疲れ」、うまく説明できますか?
「人と関わると疲れる」と感じていても、その正体をうまく言葉にできない人は少なくありません。まずはその感覚を一緒に整理してみましょう。
「嫌いじゃないのに消耗する」という矛盾
この感覚、誰かに話そうとしたことはありますか?
いざ話そうとすると、うまく言葉が出てきません。「なんとなく疲れる」「なんかしんどい」——それ以上言葉が続かないのです。
相手に「何がそんなに疲れるの?」と聞かれても、具体的に答えられない。そういう経験をしたことがある人は、意外と多いのではないでしょうか。
この感覚のやっかいなところは、理由が見えないことです。
嫌いな相手がいるなら「あの人が苦手だから疲れる」と説明できます。トラブルがあったなら「あの件でストレスを感じている」と言えます。
でも、明確な理由がないのに消耗する。この状態は、自分でも説明がつかないから、誰にも話せないまま抱え込みやすいのです。
私自身も、長い間そうでした。A型作業所で働いていても、ホテルの厨房で一般就労を経験していても、「なんでこんなに疲れるんだろう」という問いに、ずっと答えが出なかったのです。
「なぜか疲れる」、その感覚はおかしくない
「人と関わると疲れる」という感覚は、おかしくありません。
「そんなことで疲れるなんて、自分は弱いのかも」「もっと社交的にならないといけない」と自分を責めている人もいるかもしれません。
でも、この記事を読み進めてもらえれば、その疲れには、ちゃんとした理由があることがわかってもらえると思います。
うまく説明できなくても、言葉にならなくても、あなたが感じている疲れは本物です。
「なんとなくしんどい」「なんとなくここにたどり着いた」。その感覚を持ったまま、読み続けてもらえれば十分です。
人と関わると疲れるのは「性格」のせいじゃない
「疲れるのは自分の性格のせいだ」と思い込んでいる人は多いです。でも、それは少し違うかもしれません。科学的な視点から、その疲れの正体を見ていきましょう。
「社会的疲労」という言葉を知っていますか
人と関わることで生じる消耗は、「社会的疲労」と呼ばれ、医学・心理学の分野で近年注目されている概念です。
これは単なる内向的な性格の話ではありません。脳の認知・感情・神経系への過負荷によって起こる、れっきとした疲労状態です。
「疲れやすい自分がおかしい」のではなく、脳と神経が長時間フル稼働している状態と言えます。性格の問題ではなく、脳の状態の問題なのです。
※参考:ひだまりこころクリニック「人と関わると疲れてしまう」社会的疲労とは?
「普通の会話」でも脳はフル稼働している
では、なぜ人と関わるだけで脳がそこまで消耗するのでしょうか。
実は、私たちが「普通の会話」と思っている場面でも、脳の中では次のような処理が同時に行われています。
- 相手の表情を読む
- 場の空気を読む
- 言葉の裏側を考える
- 自分の返答を選ぶ
- 相手にどう思われているかを気にする
これだけの処理を、会話中ずっと無意識に続けているのです。何時間も立ち仕事をしたあとのような疲労感が残るのは、ある意味当然と言えます。
私自身も、作業所やホテルで普通に仕事をしているだけのつもりなのに、帰宅するとぐったりしていることがよくありました。
当時は「なぜこんなに疲れるんだろう」と思っていましたが、今思えば脳が飽和していたのだと思います。
疲れるのは「頑張ってきた証拠」でもある
「社会人なのにこんなことで疲れるなんて情けない」「もっとうまくやれるはずなのに」そう自分を責めている人もいるかもしれません。
でも、少し視点を変えてみてください。
人と関わるたびに消耗するほど気を遣い続けてきたということは、それだけ頑張ってきたということでもあります。
疲れは、あなたがさぼってきた証拠ではありません。むしろ、限界まで気を遣い続けてきた結果です。
「脳が飽和しているサイン」として受け取ってもらえたら、少し自分への見方が変わるかもしれません。
「甘えだ」「弱いだけだ」と片付けるのは、少し待ってほしいと思っています。
人と関わりたくなくなる3つの原因
原因は人によって異なります。次の3つを読んでみて、自分に当てはまるものがあるか確認してみてください。完全に一致しなくても構いません。「なんとなく近いかも」という感覚で読んでもらえれば十分です。
エネルギーの補充場所が「内側」にある
人と関わることで疲れやすい人の中には、エネルギーの補充場所が「内側」にあるタイプの人がいます。
心理学者のカール・ユングは、人の基本的な心理的態度を「内向型」と「外向型」に分類しました。この2つの違いを簡単に説明すると、次のようになります。
| タイプ | エネルギーの補充場所 |
| 外向型 | 人と関わることで充電される |
| 内向型 | 一人の時間で充電される |
外向型の人は、人と関わることでエネルギーが満たされます。一方、内向型の人は人と関わることでエネルギーが消費され、一人でいる時間に回復します。
重要なのは、どちらが正常でどちらが異常ということではないという点です。ただ、エネルギーの補充場所が違うだけです。
私自身も、昔から一人でいるときの方が頭が静かになる感覚がありました。人と関わること自体が嫌いなわけではないのに、関わったあとは消耗する。
長い間その理由がわからなかったのですが、この内向型・外向型という概念を知ったとき、「そういうことだったのか」と腑に落ちた記憶があります。
「気にしすぎる脳」が普通の会話を重労働にする
相手の顔色・言葉の裏・場の空気を常に読み続けている人にとって、普通の会話は想像以上の重労働になります。
さらに、こんな研究結果があります。内向型の人が外向的に振る舞うと、わずか1時間でエネルギーレベルが大幅に低下することが確認されています。
本来の自分と異なる行動を取り続けることの精神的負担は、想像以上に大きいのです。
私の場合、作業所やホテルで苦手な人がいると、次のような状態になっていました。
- 近くにいるだけで、なんとなく気になってしまう
- 話しかけられると、返答にいちいち気を使う
- 何かあったら、その後ずっと引きずる
つまり、知らず知らずのうちに心身が警戒モードに入っている状態です。
気が休まる瞬間がないから、じわじわと消耗していく。「脳内メモリーを食った感じ」とでも言うのでしょうか。
頭の片隅に常にそのことがあって、他のことに集中できなくなるのです。
ストレスが積み上がると、脳が過敏になっていく
慢性的なストレスにさらされ続けると、脳が過敏になり、些細なことにも「危険信号」を出すようになります。これは意志の弱さや性格の問題ではなく、脳の仕組みの話です。
脳の中に「扁桃体」という部位があります。感情や恐怖の処理を担う部位で、ストレスが慢性化すると過活動状態になります。
すると、普通の雑談や何気ない一言でさえ、脳が脅威として処理してしまう悪循環が生まれます。
私自身の経験で言うと、最初は特に気にならなかった人でも、関わりが積み重なるにつれてじわじわと消耗するようになることがありました。ボディブローのように、少しずつ、少しずつ効いてくる感じです。
「最近、前より疲れやすくなった気がする」という感覚がある人は、すでにこの状態に入っている可能性があります。
「隠れ疲れ」に気づきにくい理由
「疲れている」とわかっていても、その深刻さに気づけないまま消耗し続けてしまう人は少なくありません。なぜ自分の疲れに気づきにくいのか、その構造を見ていきましょう。
表面上はちゃんとやれているから気づけない
仕事もこなせている、人とも話せている。「普通にできているんだから、疲れているはずがない」そう思っていませんか。
これが、隠れ疲れの一番やっかいなところです。
表面上はちゃんと機能しているように見えても、内側では静かに消耗が積み重なっていることがあります。
具体的には、こんなサインが出ていませんか。
- 帰宅後、何もする気が起きずにぼーっとしてしまう
- 休日は誰にも会いたくない、連絡も面倒に感じる
- 楽しいはずのことが、なんとなく楽しめない
- 「また明日も人と関わらないといけない」と思うと憂鬱になる
これらは「怠けている」のではなく、脳と心が限界に近づいているサインかもしれません。「できているから大丈夫」と判断するのは、少し危険です。
「疲れ」を「自分の性格のせい」で片付けてしまう
「自分は人付き合いが苦手なだけ」「もともとそういう性格だから」こう処理して、疲れの原因を深く考えることをやめてしまう人も多いです。
心理学博士・榎本博明氏は、著書の中で「隠れ内向」という概念を紹介しています。外向的に見える人でも、内側では強く消耗しているケースがあるというものです。
つまり、「明るく社交的に見える人」でも、人と関わることで深く疲弊している可能性があるということです。
「性格のせいだから仕方ない」と片付けてしまうと、疲れの本質が見えなくなります。
性格の問題ではなく、脳と心の状態の問題として捉え直すことが大切だと、私は思っています。
気づいたときには限界、という構造
疲れのサインを「性格のせい」「気のせい」として無視し続けると、ある日突然、気力も体力も底をつくような状態になることがあります。
「なんとなくしんどい」「なんとなく人と関わりたくない」という感覚は、小さなサインです。
でも、そのサインを見逃し続けると、やがてそれは無視できないほど大きくなります。
私自身も、自分が消耗していると気づいたのは、限界に近づいてからでした。
「もっと早く気づいていれば」と思うこともあります。だからこそ、「なんとなくしんどい」という感覚を、軽く流さないでほしいと思っています。
早めに自分の疲れのパターンを知ることが、消耗を防ぐための最初の一歩になります。
私が「人と関わりたくない」の正体に気づくまで
ここからは、私自身の話をさせてください。きれいごとは書きません。うまくいかなかったことも、今も解決していないことも、正直に書きます。
ひきこもり時代:「疲れる」より前に「怖い」だった
私は小学5年生の3学期から不登校になり中学2年生までは完全に学校に行けませんでした。
その後なんとか中学3年生から少しずつ行けるようになり、ぎりぎり高校に入学できました。
しかし、高校卒業後はおよそ10年間、ひきこもり状態が続きました。
その頃の感覚は、「人と関わると疲れる」というよりも、もっと手前の話でした。「怖い」「不安」という感覚が先にあって、他人と関わること自体ができなかったのです。
家族以外の人と話すことは、ほとんどありませんでした。
当時は、なぜそんなに怖いのかも、なぜ外に出られないのかも、自分でもよくわかっていませんでした。
ただ、人と関わることへの強い不安と恐怖があって、それを避け続けていた。そういう状態でした。
今思えば、これもある種の「社会的疲労」の極端な形だったのかもしれません。
作業所で気づいた「警戒モードの正体」
ひきこもりから脱し、カウンセリングや精神科への通院を経て、少しずつ外に出られるようになりました。
そしてB型作業所、その後A型作業所へと移り、人と関わる機会が増えていきました。
人と関わること自体はできるようになった。でも、苦手な人がいると、その人が近くにいるだけで気になってしまう。
話しかけられると返答にいちいち気を使う。何かあったら、その後ずっと引きずる。
今振り返ると、知らず知らずのうちに心身が警戒モードに入っていたのだと思います。その人が視界に入るだけで、頭の片隅にずっとその人のことがある。「脳内メモリーを食った感じ」とでも言うのでしょうか。
他のことに集中できなくなる、あの状態です。
気が休まる瞬間がないから、じわじわと消耗していく。ボディブローのように、少しずつ効いてくる感じがしました。
ホテルの厨房で飛び込んだ、出来上がった人間関係の中へ
A型作業所に通いながら、2018年頃に作業所の紹介で地元のホテル厨房での一般就労を経験しました。約8ヶ月間、調理補助として働いた時期です。
一番きつかったのは、仕事そのものではありませんでした。
すでに出来上がった人間関係の中に、新しく飛び込んでいくこと——これが一番きつかったように思います。
作業所は、障害や病気など何らかの事情を抱えた人たちが集まる場所です。
でもホテルの厨房は違います。健常者の中で、自分が通用するのかどうか。そういう不安が常にありました。
常に気が張っているような感覚で、最初はかなり疲れていたと思います。
ただ、記憶がやや薄れている部分もあるので、正確には言い切れません。
それでも、「人間関係に飛び込む緊張感」は、仕事の大変さとは別のところにあったという感覚は、今も残っています。
「気にしすぎる性質がある」と受け入れてから少し楽になった
作業所やホテルでの経験を重ねる中で、少しずつわかってきたことがあります。
自分はもともと、人のことを気にしすぎる性質があるのだということ。
これは「おかしい」のではありません。「そういう自分がいる」という話です。
でも当時は、その性質を「欠点」として捉えていました。だから、疲れるたびに「なんで自分はこうなんだろう」と自己否定していたのです。
「気にしすぎる性質がある」と受け入れてから、少しだけ楽になりました。完全に解決したわけではありません。
今も苦手な人と関わるときは消耗します。でも、「疲れる自分がおかしい」という自己否定が減っただけで、同じ疲れでも受け止め方が変わったように感じています。
「知ること」が、最初の一歩だったのだと思います。
疲れたときに私がやっていた、小さな3つのこと
原因がわかったとしても、「で、結局どうすればいいの?」という気持ちは残るものです。完全な解決策ではありませんが、私が実際にやっていた小さなことを3つ紹介します。同じようにうまくいくかどうかはわかりません。ただ、ひとつでも「試してみようかな」と思えるものがあれば、それで十分です。
苦手な人との距離を「挨拶と仕事の連絡だけ」に決める
人と関わることで消耗しやすい人ほど、全員と同じ温度で関わろうとしてしまいがちです。
でも、それは必ずしも必要ではありません。
私が作業所やホテルで実践していたのは、苦手な人との関わり方をシンプルに決めてしまうことでした。
挨拶と、仕事に必要な最低限の連絡だけ。それ以外は、そっと距離をおく。
「冷たい人間になる」ということではありません。「自分を守るための距離感を選ぶ」という感覚です。
当時は完全には割り切れていなかったと思います。なんとなく気を使ってしまう場面もありました。
でも、「全員と仲良くしなければいけない」という思い込みを手放すだけで、消耗の度合いが変わってくるように感じました。
今もこの距離感で十分だと思っています。
楽しいことと睡眠で、じわじわ回復する
疲れたときに「完全にリフレッシュしなければ」と思うと、それがまたプレッシャーになります。
そうではなく、小さな楽しいことを積み重ねながら、じわじわ回復していく感覚でいることが大切だと思っています。
私が実際にやっていたことは、こんなことです。
- 美味しいものを食べる
- 散歩やランニングをする
- YouTubeで好きな動画を見る
- カラオケに行く
完全にリフレッシュできないこともありました。楽しいことをしていても、頭の片隅にしんどいことが残っている感覚は、なかなか消えません。
でも、やらないよりはずっといい。
そして何より、よく寝ることです。 寝てリセットする感覚は、今も変わりません。
時間が経てば、少しずつ回復していく。それを信じて待つことも、ひとつの方法だと思っています。
自信と「逃げ道」が、じわじわ引きずりを短くした
これは意識的にやったことではないのですが、振り返ってみると確かに変化がありました。
昔は、嫌なことがあると長い間引きずっていました。
でも今は、以前と比べると比較的短い時間で切り替えられるようになってきています。
何が変わったのか考えてみると、おそらく次のことだと思っています。
ひとつは、自信が少しずつついてきたこと。
ひきこもりから脱し、作業所での仕事が順調に続き、「自分にもできることがある」という感覚が積み重なってきました。特別なことをしたわけではありません。ただ、続けてきた結果です。
もうひとつは、お金が多少貯まったこと。
「いざとなればなんとかなる」という感覚が生まれると、今いる環境への執着が少し薄れます。逃げ道があると思えるだけで、気持ちの余裕が変わるのです。好きなものを買えるという小さな余裕も、意外と大きかったと感じています。
魔法のような解決策はありません。でも、小さな積み重ねは、確実に何かを変えます。 時間はかかりますが、それだけは自信を持って言えます。
まとめ
この記事で伝えたかったことを、最後に整理します。
「人と関わると疲れる」の正体は、性格の弱さでも、甘えでも、社交性の欠如でもありませんでした。
社会的疲労、内向型のエネルギー構造、慢性ストレスによる脳の過敏——これらはすべて、性格の問題ではなく、脳と心の状態の話です。
今もすべてが解決したわけではありません。苦手な人と関わるときは今も消耗しますし、引きずることもあります。それが正直なところです。
でも、ひとつだけ変わったことがあります。
「疲れる自分がおかしい」という自己否定が、減りました。
疲れる理由がわかっただけで、同じ疲れでも受け止め方が変わりました。
「また脳内メモリーを食っているな」「今日は警戒モードが続いたな」と、少し客観的に見られるようになったのです。
解決しなくていいと、私は思っています。まず、自分の疲れのパターンを知るだけでいい。それだけで、同じ毎日が少しだけ違って見えることがあります。
この記事をここまで読んでくれたこと自体、その一歩だったかもしれません。今日はそれで十分です。
